マンガは“笑い”の可能性を広げてくれる存在 「これからも芸人として人前に出たい」 【畠山達也さんインタビュー/芸人アナザーストーリー】

SNSに投稿するシュールな作品が人気の漫画家・畠山達也さん。独特の感性で描かれたユーモアあふれる世界観にハマる人が続出し、SNSを中心にファンを増やしています。畠山さんがマンガを描き始めたのは、2015年夏。当時は、大阪吉本で「芸人」として活動していました。同年末に新人作家の登竜門「赤塚賞」に入賞し、漫画家としての活動が本格スタート。その翌年に吉本を退所し、拠点を東京に移しました。

インタビューのため畠山さんにお会いしたのは、6月下旬。そのとき畠山さんは、「今は漫画家の仕事がメインだけど、また舞台でコントがしたい」と芸人活動への想いを口にしていました。「今もたまに舞台に立っているけど、胸を張って“自分は芸人”とは言えない」と。

……そして10月18日。畠山さんの吉本復帰とライブ開催が発表されました。つまり、本記事は復帰が決まる直前のインタビューが元になっています。これからは正真正銘「芸人兼漫画家」としての活動が始まる畠山さん。それが決まる直前に、「芸人として人前に出たい」と語る畠山さんの言葉を、是非お読みください。

ネタの考え方は変わらない

――現在は漫画家として活動しつつ、たまに芸人として舞台に上がることもあるそうですね。

メインの肩書は「漫画家」ですね(2021年6月現在)。担当編集が付いていて、基本的には『ジャンプ』向けにマンガを描いています。これまでは「代原(代理原稿)」といって連載作家が休んだときに代わりに載る作品を描いたり、読み切りの原作を書いたり。芸人としては、ライブやイベントに「呼ばれたら出る」という状態。自分から出ていくという活動は全くやってないです。

――SNSに投稿しているマンガが、シュールで面白いです。けっこう高頻度で投稿していますよね。

最近描いたものに加えて、過去作品も入り混ぜながら投稿してます。芸人のネタと同じように、マンガにも「ありネタ」っていう概念があってもええかなと思うんですよ。載せる時期によって反響もけっこう変わります。前は全然「いいね」が付かなかったのに、もう1度載せたらいきなりバズったりとか。でも、それがなんでなのかは1ミリも分からないです(笑)。

ただ、コロナの流行が始まった当初の自粛期間中は、インスタのフォロワーが一気に4,000人くらい増えました。家にいて暇だった方が読んでくださったのかな、と思います。SNSに投稿するのは、マンガの練習に加えて「脳みそが廃らないようにするため」という意味合いもあるんで、なるべく新作を上げたいとは思ってるんですけどね。

2021年5月2日に投稿した「僕はラーメン屋さん」は、1.8万いいねが付いている(7月18日時点)。2019年に投稿した際はあまり反応が無かったそう

――マンガのネタは、どんなふうに考えているんでしょうか?

「SNSに上げる1P用のマンガ」を考えるというより、「15Pくらいのマンガ」を描くつもりで考えています。その中で15P分まで広がらないものを、1Pで表現しているという感じなんです。

――なるほど。1Pマンガを描こう、と思って考えているわけではないんですね。ネタ自体は、すぐ思いつくものなんでしょうか?

基本は、ノートを広げてじっと考えますね。ひたすら「どういうネタにしようかな~」と、浮かぶまで考えるという感じです。

――その考え方は、芸人としてネタを考えるときと一緒なんでしょうか?

考え方自体はずーっと一緒ですね。ただ昔と違うのは、芸人の頃はだいたい相方が目の前にいるんですよ。僕がノートを広げて考えて、思いついた設定を相方に伝えるんです。それで相方が笑ったり良い感じの反応をしたら、それをネタにする感じだったんで。

今は一人でマンガのネタを考えてるんで、ほんまに孤独というか……ネタが浮かんでも伝える相手がいないので、すぐ「おもんないんじゃないかなぁ」とか思ってしまうんですよね。自己肯定感が高いほうじゃないので、そういう不安はすごくあります。

――では、マンガを公開するときはけっこう怖いですか?

怖いです。SNSに上げてるマンガについては「ウケてくれたら嬉しい」という感じで、そこまで怖くないですけど……『ジャンプ』とかに載せるマンガのほうが怖いですね。担当編集は通ったとしても、読者にどう見られるのか。お笑いと違って生で反応が来るわけじゃないので。どういう反応が来るんだろうと、いつも思いますね。

マンガは「テレビコント」に近い

――マンガを描くにあたって、芸人の視点が活きることはありますか?

マンガは面白い設定にプラスして「キャラクター」を作るのがとても重要、というかそれが一番大切なのですが、僕がやってたコントでは「キャラを作る」ということをあまりしなかったんです。コントは、とにかく設定重視でした。コントに出てくるキャラのことは「こういう発言をする奴、こういう発言はしない奴」くらいで。

ただマンガだと読者に「このキャラ好き、また見たい」と思ってもらえるようなキャラが必要なので……。そういうことをコントをやっていたときは考えなかったんで、そこは本当に難しいです。最初に賞に応募したときも、総評に「マンガというよりコントだ」って書いてありましたから。

――なるほど。マンガだと登場人物のキャラを作らないといけないんですね。

そうですね。なので、マンガはどちらかというと「テレビコント」に近いのかなと思います。テレビコントってシリーズになったりするので、キャラも大事じゃないですか。あと、最近はキャラの好感度も意識してます。昔からそうなんですけど、僕はどっちかと言うとブラックなのが好きで、犯罪者とかムカつく性格の奴が出るコントばっかり作ってた時期があったので……。

マンガでは、やっぱり「このキャラが出てくると嬉しい」とか思ってもらえることも意識して描かなきゃと思ってます。ただ、キャラに名前を付けるのはすごいストレスです(笑)。やっぱり、人に名前を付けるのはけっこうしんどいですね。かなり考えてしまって、プレッシャーになったりもします。

「ボクはまだキミのこと何も知らない」は、シリーズ化している

――お笑いだと、テレビ・劇場・賞レースなど披露する場所によって選ぶネタが違うと聞いたことがあります。マンガも、載せる場所によって読者層を意識するのでしょうか?

『少年ジャンプ』への掲載に向けて描いてるマンガは「テレビでもやれるようなネタ」と言った感じでしょうか。僕が描くギャグマンガが、小学生にウケるかどうかはちょっと分からないですが、少しでも幅広く伝わるようなネタという感じで描いてます。

SNSは、『単独ライブ』みたいな感じですかね。下ネタでも何でも面白そうと思ったことをほぼほぼそのままの状態で描いて載せてるという感じです。

★畠山さんが原作を担当したマンガ『未読無視してんじゃねぇよ』はコチラから

やっぱり、自分の考えたものを出したい

――マンガはいつ頃から描き始めたんでしょうか?

小学生のときからギャグマンガを描いて友達に見せたりしてました。小3で「お笑い芸人になりたい」と思い始めたんで、昔から「人を笑かしたい」という想いがあったんですよね。ただ、芸人活動してた時代は一切描いてないです。

本格的に描き始めたのは、2015年に「シチガツ」を解散してからですね。なにもやることが無くなったんで、昔コンビでやってたネタをマンガにしてみようと思って。十数年ぶりに描いてみたら「マンガってこんなに手間暇かかってしんどいんだ」と……一銭にもならないのに肩と腰を痛めながら描いて、俺はなにをしてるんだと(笑)。それで、どうせ描くなら賞に応募してみようと思いまして。

※活動期間は2012年1月~2015年5月

★コンビのネタをマンガ化した作品はコチラから

――2015年末の「赤塚賞」で、佳作に選ばれていますよね。漫画を描き始めてから、すごいスピードです。

※年に2回行われるギャグマンガの新人募集企画。7~31Pのギャグマンガが審査される

応募した1作目で『ジャンプ』月例賞の最終候補に選ばれて、担当編集が付きました。「赤塚賞」は3作目ですね。ずっと(お笑いの)ネタは考えていたので……。マンガはマンガ用に考えたネタではありましたが、お笑いのネタの延長という感じでした。

――芸人として活動している期間も「マンガを描きたい」という想いはあったんでしょうか?

なんとなく、「昔やったネタをマンガにしてみたいな」とはうっすら思ってたんですよ。解散した時期はまったくネタをやってなかったんですけど、「やっぱり自分の考えたものを出したい」と思って。でも、なんでマンガ描いたんだろって思うときはあります(笑)。不思議だなと。人生いろいろですね。

芸人を目指し、岩手から大阪へ

――小3からお笑い芸人を目指していたとのことですが、なぜいきなり大阪に行ったんでしょうか?ご出身の岩手から大阪って、かなり遠いですよね。

ダウンタウンさんとか、昔から好きだった芸人さんに大阪の人が多かったからですね。最初に芸人になりたいと思ったきっかけも、ナインティナインさんでしたし。子どもの頃は、大阪人じゃないと吉本に入れないと思ってたくらいでした(笑)。どうせ芸人になるなら本場でやりたいと思ってたんで、東京でやるっていう頭は最初から無かったんですよね。

あと、関西人の相方が欲しいと思ってたんですよ。やっぱり、ツッコミって「なんでやねん」ってイメージがあるじゃないですか(笑)。

――高校卒業後にすぐ大阪に行ったわけでなく、地元で働いた期間があったそうですね。

3年働いてお金を貯めました。この3年で、ちゃんと「会社員には向いてない」と思いましたね。3つも会社変えましたから。1社目は工場で、2社目は「スーツ着て仕事してみたい」と思って商社に入りましたが、半年で辞めました。しんどすぎて、最初は飛んでしまおうと思ってたんですよ。電話線を全部抜いて家に籠城してたら部長が来て「ちゃんと退職届書かないとダメだよ」と。向いてないんですよね、普通の生き方が。芸人になりたいという一心で、18から21までなんとか働きました。

――岩手だと芸人を目指す人も少なそうですし、自分のお笑いの実力も分からなかったと思います。それなのに芸人になるために大阪に行くって、すごい決心だと思いました。

「芸人になる」以外にまったく考えられなかったんですよね。お笑い以外のことが考えられなかったんで、岩手から出ました。母親にも子どもの頃から「俺は芸人になる」って言ってましたし。ただ、いざ本当に養成所の願書取り寄せ出したら「ほんとに行くの?」って驚いてましたけど(笑)。

芸人として表に出る機会があるからこそ、漫画家ができる

――2006年にNSCに入り、そこから約10年吉本に在籍されていました。東京に拠点を移すときは、「漫画家でやっていこう」という気持ちがあったんでしょうか?

漫画家一本という感じではなかったですが、シチガツを解散してからネタとかをやっていなくて、とにかく「吉本に所属してるだけで何も活動していない」という状況を変えたくて、東京に来た感じです。僕の悪いところで行き当たりばったりというか、衝動的に東京に来ました。

――東京に来て、翌年の2017年に単独ライブ『ハタタツンドク』を開催されてますよね。

この単独は、ピンネタでやりました。ただ「ピン難しすぎる」ってずーっとひたすら思いながら活動してたんですよ。2018年くらいに「本当に無理だ」と思って、ピンネタはやらなくなっちゃいました。

やっぱり、コンビでやりたいんです。コントが好きなんで、ずっと「コンビでコントしたい」と思ってます。SNSに上げてるマンガをベースにしたネタライブを誰かと一緒にできたらな、っていうのはずっと考えてますね。

――芸人は表に出る仕事ですが、今メインでやっている漫画家はどちらかというと裏の仕事ですよね。この2つを両立することは難しくないですか?

自分の場合は、表と裏がどちらもあることでバランスが取れてたと思います。去年はコロナ禍でとにかくライブがなくて、ほとんど人前に出れなかったんです。それまで月数回は出てたんですけど。

ライブが無くなって思ったのが「ずっと裏は無理かもしれない」ということ。やっぱり人前に出て、コントとか表現がしたい。でも去年はそのバランスが崩れて、ちょっとおかしくなってしまった時期もありました。裏(漫画家)だけになったとき、自分の中で「ちゃうな」って思って……表に出る機会があったからこそ、マンガの仕事もできてたのかなと。

――あくまでも、漫画家の活動は芸人として表に出る活動があってこそのものだった、と。

そうですね。やっぱり、誰かと話すとか、人前で表現することが好きなんだなってコロナ禍で気付きました。ただ、マンガには良いところがあるんですよ。お笑いは、ネタで“爆笑”を取りにいくじゃないですか。基本は声出して笑ってもらえるようなネタを目指して作るんですけど、マンガは“ニヤニヤ”、“クスッ”っていう笑いで良い。「これは爆笑までは取れないだろうなぁ」ってネタでも、マンガだったらできるんです。だから、自分の中で良いものを手に入れたな思います。

人前に出ることはずっと続けていきたい

――畠山さんの作品には、芸人さんに原作を提供してもらっているものもありますよね。

「ダブルアート」の真べぇが「こんなん浮かんだんですけど、マンガのネタとしてどうですか?」って言ってくれたのが始まりですね。それがきっかけで、たまに「こんなんどうですか?」って言ってもらうことが増えて。

みんなも(お笑いの)ネタ思い付いたけど「これどうやって漫才とかコントでやるんだ」ってこと多いと思うんです。人数が多いとか、お金がかかるとか。それを表現できるひとつのツールが、マンガなのかもしれません。

ダブルアート・真べぇさん原作『中華料理屋』

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――ちなみに、芸人さんに読んでもらうのを意識することはありますか?芸人さんは気を遣って「面白い」と言わないような気がして。

全く意識してないと言えば嘘になります。ただ、ネタでも漫画でも芸人を意識し過ぎたものってそれが透けて見える気がするので、とにかく自分が少しでも面白いと思ったものを作るように意識しています。「面白い」とは、気を遣ってか分からないですが、僕の漫画の話を芸人とそんなにしないので言わないですかね。とにかく、芸人含め読んでくれた人の多くにウケたいです。

――最後に、畠山さんが今後やっていきたいことはなんですか?

マンガで賞をいただいて担当編集も付いてくれているんで、やっぱり1度は「連載」を持ちたいですね。あとは、自分のマンガで本を出したい。Twitterに上げてるマンガを1冊にまとめてみたりとか。

あとは、コントがしたいですね。やっぱり、人前に出ることはずっと続けていきたいと思ってます。吉本を辞めてからは「芸人って名乗って良いのか?」ってずっと思ってたので……芸人と名乗るなら、舞台に出るなりネタを作るなりやらないと。胸を張って、自分で「芸人」と名乗れる活動をしていきたいですね。

これから

10月18日、畠山さんの吉本復帰が発表されました。インタビューで「コンビでコントがしたい」と語っていたとおり、コンビでの活動を目指し、現在は相方を探しているそうです。

さらに11月19日、畠山さんと親交のある芸人仲間とともに、復帰ライブの開催が決定。近い将来、舞台やテレビでコントをする畠山さんを観られるかもしれません。これから始まる「芸人兼漫画家」としてのチャレンジを、今後も追っていきたいと思います。

取材 文:堀越 愛、写真:秦 法爾


<畠山 達也さん|プロフィール>
漫画家、芸人。

1984年11月24日生まれ。岩手県花巻市出身。
2006年、NSC大阪校入学。大阪の劇場を中心に、「ガスマスクガール」「シチガツ」というコンビで活動。
2015年、第83回赤塚賞「マジシャン奇術無仕掛の事件簿」で佳作受賞。
2016年6月、吉本興業を退社。
2016年10月、「少年ジャンプGIGA 2016 vol.4」に読切りマンガ『凡太は普通に生きている』掲載。
2016年11月、「週刊少年ジャンプ」に読み切りマンガ『しろすぎ!アクノソシキ』掲載。
2017年6月、単独ライブ『ハタタツンドク』(CHARA DE asagaya)を開催。
2020年10月、「少年ジャンプ+」に読み切りマンガ『未読無視してんじゃねぇよ』が掲載(原作)。
2021年9月、「少年ジャンプ+」に読み切りマンガ『山田夢太郎、外へ行く』が掲載(原作)。
2021年10月、吉本興業に復帰。

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