「1個1個のステージを最後だと思って、死ぬ気で」キャリアチェンジで掴んだラッキー、あっぱれ婦人会インタビュー【40代からのM-1挑戦】

M-1グランプリ。若手芸人がしのぎを削り、明日のスターを夢見て闘う戦場だ。若きスターが毎年生まれ、霜降り明星が優勝した2018年大会は、”お笑い第七世代ブーム”の契機となったとも言われている。しかし、2021年、これまでのチャンピオンとは異色のコンビが優勝した。錦鯉、有り体に言えば”おじさん”芸人だ。芸歴を重ねてからコンビを結成した2人は、大一番で数々の若手芸人を薙ぎ倒し、中堅の星となった。錦鯉の優勝をきっかけに、30代、40代からコンビを組んだ芸人にインタビューしたいと思った。彼らは活躍するまで、どのような苦労や葛藤に苛まれていたのだろうか。いわゆる若手芸人と戦い抜くための戦術とは?

ソニー・ミュージックアーティスツ(以下SMA)所属・あっぱれ婦人会(左:木下あや、右:天野 裕加里)

あっぱれ婦人会。2022年上半期、『ぐるナイ おもしろ荘 ネクストスター発掘SP』、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!〜第16回 山-1グランプリ〜』、『ザ・ベストワン』に出演し、勢いに乗る女性コンビだ。一見上品なマダムといった風貌の2人は、ネタになると豹変し、ダジャレ風の飲み会コールで大騒ぎする。丸椅子を肩に担いで捲し立てる様は、一度見たら脳裏に焼き付いて離れない。

そんな二人だが、木下は現在46歳、天野は現在40歳。実は2018年結成で、コンビ歴は5年目だ。彼女達が表舞台に立つまで一体何を思ったのか。この先何を目指すのか。

テレビは降って湧いたようなもの

ーーー2022年の上半期には若手芸人の登竜門と言われるような番組にご出演されましたが、その手応えはいかがでしたか?

木下: 芸能界の入口に入れたかな、と。自分達の担当でないマネージャーの方と会ったり、番組の前説をさせてもらったり。地下芸人のお笑いじゃない、ちょっと華やかな世界に出て、「あ、活躍するってこういうことなんだな」って思えました。

天野: 正直(出演は)降って湧いたといいますか。私たちがテレビで披露した乾杯コールのコントは、元々漫才のネタだったんですね。漫才を先輩に見ていただいた時に、「乾杯コール自体がお酒が入って、常軌を逸した状態でみんながやるものだから、漫才でやってもあんまり良さが伝わらない。コントでやったら設定があるからすごくいいんじゃない」っておっしゃってくださって。 アドバイスを受けて力いっぱいやってたら、お客様に笑っていただけるようになって。それから「ぽぽぽぽぽん!!」って出演できました。もうびっくりビビンバでした。本当に「え!え!え!」みたいな。

木下: 持ちネタがコント1本しかなかったんですよ。コント1本で、キングオブコントも準々決勝まで行きましたし、同じネタでおもしろ荘も山-1も出れちゃって、ラッキー中のラッキーとしか言いようがない。

天野: 私たち何もないんですよ!(笑)

木下: 何もないよね。

天野: 助けてください。

木下: 先輩の力を借りて、ここまできていますね。

モダンタイムスがいなかったら、私たちはない

ーーー乾杯コールのような“大騒ぎする”ネタは、どのようにして生まれたのでしょうか。

木下: 最初は天野さんだけがギャグをやってたんですよ。先輩に見てもらった時に、「2人でギャグやった方がいいんじゃない」って言ってもらって。2人でやってみたら結構ウケました。まず天野さんがちょっと変で、私が普通かと思ったら、もっと変、みたいなネタです。私は嫌だったんですよ、ギャグやるのが。

天野: 木下さんは高尚な人なので(笑)私のギャグに対して、戸惑いという名の優しいツッコミをやってくれてたんですよ。

木下: ギャグを言われて、私が「え?」とかやってたんですよ。アドバイスをもらった後、2人でギャグをやり出して、この形になりました。

天野: もっと具体的に言うと、モダンタイムスさんとすごく仲良くさせていただいています。 モダンさんのアドバイスで、私たちはここにいるって感じですね。

木下: 2〜3年前にモダンさんがアドバイスをくれた時から、「こうやってやればいいんだな」ってわかりました。モダンさんがいなかったら、今の私たちは完全にないんです。

ーーーマヂカルラブリーさんやアルコ&ピースさんもそうですが、いろいろな芸人さんのターニングポイントにモダンタイムスさんがいらっしゃるんですね。

天野: はい、モダンさんのネタを見る力はすごいです。モダンさんは規格外な地下芸人であることを売りにしてて、エキセントリックに見られがちなネタをやられてるんですけど、実際はギャップがあって、すごくネタを見れる方達で。

木下: 「あっぱれ婦人会だったらテーマは狂ってることだから、それを目指してネタ作んないとダメだ」とか。その人たちの目指すべきものが、モダンさんの頭の中でパッってわかるみたいで。アドバイスを聞いてからすごくやりやすくなりました。

天野: モダンさんは本当に芸歴長いんですけど、本当だったら教えたくないような自分たちがやってきたからわかること、やってこないと分からないようなことを惜しみなく教えてくれて。ありがタイタイタイの頭!!

木下&天野: ワーッ!

このままじゃ終わりたくない

ーーーお二人はどのようにして芸人になったのでしょうか。

木下: 私は芸人になるまで10年間劇団に入っていて、裏方ばっかりやってたんですよ。でも芝居が下手すぎて、全然キャストに選ばれなくて。「もうこのままやっててもダメだな」って思って、インターネットで相方探しの会に申し込み、22、3歳ぐらいの男の子と『主婦とフリーター』というコンビを組みました。芸人を2か月ぐらいやってみて「こんなに簡単にお客さんの前に出れるんだ」って分かったんですよ。お芝居だと、演出家の人に選ばれなきゃいけない。だけど、芸人としてやろうと思ったら、どんなものでも出れる。それが嬉しすぎました。劇団時代はキャストに選ばれなくて腐ってたんで。

ーーーカルチャーが全然違うところだったから、その衝撃を受けてのめり込んでいったんですね。

木下: はい。元いた劇団はテレビと真逆のところだったんです。メディアに出たいっていうのがそもそもダメな雰囲気で。だけど、私はテレビとかに出たいと思っていたし、芸人をはじめてよかったです。

天野: 私は、物心ついた時から女優になるって思ってたんですよ。役者さんの事務所に入っていた時期もありまして。でも仕事が全然来なくて、自分で舞台に立っていかないと、ダメだと思って小劇場で活動していました。当時はコメディ中心の劇団にお世話になりました。「この人の作品だったら勉強にもなるし、出続けたいな」って思う劇団に参加させていただいてたんです。

ーーーその後どのようにして芸人になったのでしょうか?

天野: 気づいたら28歳ぐらいになってまして。危機感があった時、たまたまワタナベコメディースクールの養成所を見つけて「コメディ中心の女優でやっていきたい」と問い合わせて女性タレントコースに入りました。入ったら1発目の授業で、BOOMERの河田さんが登場されて、「ネタ作ろう!」って言い出して。みんな、ザワザワして「ネタ?ネタ?」みたいな。河田さんが『フリ・オチ・フォロー』って、ホワイトボードに書き出して。スクールではお笑い、演劇、ダンス、お芝居の授業があって、そこで私はお笑いに出会いました。「自分でネタを作るって、すごく面白いな」と思って。笑いも取りたいと思ってたので、芸人になりました。元々芸人なんて全く頭になかったんですよ。

ーーーお二人ともキャリアチェンジの時に不安や葛藤はありましたか?

天野: 私は何も考えてなかったみたいな。選択肢の中に、(お笑いが)逆にゼロだったので、「じゃあこれで!」みたいな感じでした。

木下: 私は悔しすぎて、「今に見てろ…!」みたいな感情でした。今は悔しかった感情をポジティブに変えたいと思いますよ。でもその時は悔しすぎて。「このままじゃ終わりたくない!」って。

賞レースはみんなのもの

ーーーお笑いの世界には賞レースというものが存在しています。とはいえ、お笑いに興味がない状態から入ってきたら、当たり前にあるものじゃないと思うんです。賞レースそのものについて、どう思われますか。

木下: すごくありがたいと思いますね。入った事務所がSMAだったから。SMAは「賞レースで勝って、有名になって、仕事をもらうんだ」みたいな流れが普通になってるから、まず賞レースで頑張らなきゃいけない。いいネタが2つあったら、世に出ることができるという教えなんです。 ネタを作って事務所ライブでやるというのが決まってたので、その流れに入れました。私はお笑い養成所には行ってないので、SMAの先輩にアドバイスをもらってます。SMAのライブは勝手に見学に行っていいんですよ。賞レースがあったからこそ、SMAのシステムが出来上がったんだと思います。だから賞レースはありがたいです。

天野: 私は正直、自分が芸人になるまで存在は知ってたんですけどM-1を見たことがなかったんですよ。私が芸人になった時30歳だったんで、お笑いの勉強をしてない自覚だけはありました。「出れるんだったらM-1もキングオブコントも出たいけど、そんなに簡単なものじゃないだろうな」って思ってたんですよ。でも、実際M-1に出て、ウケるとめちゃくちゃ嬉しいし、めちゃくちゃウケてんのに落ちると、やっぱ腹立つんですよ。

ーーー出場するまでは尻込みしていたけど、舞台に立ったら感情がついてきた。

天野: 「なんでだよ!!」みたいな。「あんだけウケてたのにおかしいだろ!!」みたいな。芸風的に賞レース向きではないともよく言われるので、仕方ないところもあると思ってたんですけど、去年M-1の3回戦に通った時はやっぱりめちゃくちゃ嬉しくて。なので賞レースはみんなのものだなと思います。

ーーーM-1は芸歴制限ではなくて、結成からの年数制限のルールがあります。いわゆる若手の芸人、2年や3年目の方と分け隔てなく戦うという環境について、どのようにお考えですか。

木下: 結成してから15年の制限とお笑い界のフレンドリーな部分は、いまの私たちにとってはラッキーですね。演劇だったら年齢がすごく重要で、年齢的に下の子が教えてくれるってないと思うんです。SMAに入ってからは1年目、2年目、3年目として接してくれるんです。だから、私みたいなおばさんでも、20歳ぐらいの子と「僕たちと一緒だよね」みたいな感じで参加できる。

天野: 女優時代は若くあることに非常に価値があるという世界だったんですよね。芸人を始めて圧倒的に違うって思ったのは、マジで笑わせたものが勝ち。若かろうがなんだろうが、 笑いがゼロだったらダメなんだみたいな。実際M-1に出た時に、役者時代の直後だったら、「こんな場違いな、PTAの2人来ちゃってすいません」みたいに思ったかもしれないですけど、今は何も感じない。(歳の離れた芸人が出場することに対して)多分他の芸人さんも何も感じていません。

M-1戦士に働く人知を超えた力

ーーー昨年のM-1は事務所の先輩でもある錦鯉さんが優勝されましたが、お二人の率直な感想をお聞かせください。

木下: 事務所のみんなが「錦鯉さんいいネタあるんだよ」と言ってたんですけど、個人的には、「1回で出てるし、絶対優勝ないないないない」って勝手に思ってて(笑)。実は私、(長谷川)まさのりさんとバイトも一緒なんですよ。優勝は絶対オズワルドさんがするもんだと勝手に思っていて。 だから、錦鯉さんが優勝した時には、「ああ、そういう世界もあるんだ」って。絶対起きちゃいけないようなことが起こった感じでしたね。私にとっては。

ーーー刺激を受けたことはありますか?

木下: まず、マネージャーの平井さんが、R-1で優勝者を出して、その後にキングオブコントで優勝者を出したんですけど、私は「M-1は無理無理!」って勝手に思ってたんですよ(笑)

天野: ハゲとおじさんと裸とおばさんしかいないから。

木下: おばさんはちょっとしかいない(笑)。無理だと思っていたのに優勝したから「平井さんって持ってるんだな」って思いました。錦鯉さんが勝つ前に、SMAのみんなでネタを見たらしいんですけど「いやいや、勝てないのにそんなことやって無駄だよ」って勝手に思ってたんです。「無駄じゃないんだ!!やったら評価してくれる人いるんだ!」っていう新しい世界を見せてくれました。あと、芸人を長く続けた人が感動してるじゃないですか。みんなの反応と本当に勝っちゃうんだっていう2つに、すごく衝撃を受けました。

天野: 錦鯉さんのネタは大好きですけど、私も優勝はないと思ってました。私の思い込みなのかもしれないですけど、やっぱりM-1は伏線回収だったりとか、しっかり作り込まれたものじゃないとダメなんだろうなって思ってたんで。でも、私今でも覚えてるんですけど、M-1当日にマネージャーの平井さんが「今こういう状況だ」って得点を書いてて、「優勝しますかね」みたいな会話をしたんですよ。そうしたら平井さんが 「M-1っていうのは、人知を超えた力が働いた者だけが、優勝するんだよ」って言ったんです。それを聞いた時に、「じゃあ、あるかも」って一瞬思っちゃって。本当に優勝しちゃって。「人知を超えた力が発生したのかも」って。

ーーー姿勢として変わった点はありますか。

木下: ちゃんとネタをやって、いいネタがあったら、 世に出れるんだなって思いました。ちょっとした積み重ねが、花開くのがお笑いなのかなって思います。

壁は厚いが死ぬ気でやる

ーーー今後の芸人生活において、挑戦していきたいことはなんでしょうか。

木下: 私はネタを作ってるんですけど、ギャグ漫才や乾杯コールしかないんで、あっぱれ婦人会らしいコントとか、 ネタのバリエーションを増やしていきたいです。

天野: 少しだけテレビに出たことによって壁は厚いというのがわかって、ちょっとショックでした。でも、頑張り続けることしかできないので。1個1個のステージを最後だと思って、大小関わらず死ぬ気でやっていくしかないですね。

<あっぱれ婦人会|プロフィール>

ソニー・ミュージックアーティスツ所属

左:木下あや

右:天野 裕加里

★公式プロフィール:https://sma-owarai.com/s/beachv/artist/h002?ima=2954

文:たになか 編集:福田