今年、ニュークレープ・ナターシャさんが『芸人が死にかけて今後について悩む漫画』で、「第1回note創作大賞」優秀作品賞を受賞されました。観客や周りの芸人、賞レース、生活。あまりにも厳しい現実を生きていると、いつのまにか自分が本当にやりたかったことを見失ってしまう。そんな時、死に直面して、「人生」そして「芸人」について考えたナターシャさん。これまでの葛藤や現在の多岐にわたる活動についてお話をお伺いしました。
記憶の記録
ーーー受賞おめでとうございます。漫画執筆のきっかけは、ご自身がホームに転落した男性を助けて、死を実感したことですよね。その出来事の後、どういった心境の変化があったのでしょうか?
人生観が変わったというか、昨日元気だった人が今日はもういない、みたいな状況はありえるんだなと感じました。その時芸歴14年目で、続けていくかどうかっていう中での出来事だったので、急に死んじゃうこともあるとなったらこのまま芸人を続けてていいのかな、ということを考えるようになりましたね。
こういう経験ってなかなか稀だし、今の自分しか持っていない感情じゃないかなと思ったんです。でも、感覚とか感情って薄れるだろうから、「記憶の記録」みたいな感覚で書いてみたいなと思ったのがきっかけです。何かなればいいなとかっていうのは二の次で、一番は自分が記録として残して覚えておきたかったことですね。
昔の古い考え方だったら、「芸人が漫画なんて描いて、何をやってるんだ」思われるかもしれないですね。僕もちょっとだけそういう考えがあったんです。ネタが好きなので、「ネタで結果を残して世に出たい」みたいな感覚がずっとありました。けど、この出来事をきっかけに、このままやらずに死ぬ方がもったいないな、と思ったんです。「どうせ死ぬならやりたいこと全部やってしまおう」と書き始めました。
考えること、つくること
“自分は、漠然と”作る”という行為が好きだ。
作るってのにも種類があって、文章を作る、料理を作る、音楽を作る、映画を作る、棚を作る、プラモデルを作る、服を作る、動画を作る、まあキリがない。
中でも、好んでいる作るは、普段からやっているコントや漫才のようなネタとイラストや漫画やアニメが今は方向性としてはやることが多い。”
note「混ざりきってない絵の具のような状態」より
ーーー芸人になる前はどういった創作活動されてきましたか?
漫画読んで、漫画書くのも好きでした。もっと辿れば、最初の創作はガチャポンの人形遊びですね。3人兄妹やのにずっと1人で遊んでたんです。ガチャポンの人形で自分の理想のストーリー作って、ていう遊びが最高に楽しくて。この感覚は、最終的にお笑いにも通じてくるかなと思います。コントを作るにしても、最初は「こうなるだろう」っていう想像をするしかないので。「考える」作業自体は元々すごい好きだったんじゃないかなと思います。
ーーーそのあと、芸大入学しながらも卒業せず、芸人の道に進んだんですね。
そうですね。高校がデザイン学科だったんで、芸大ならいけるかなと思って入りました。映画を作りたくて、大学は映像学科に入ったんですけど、同時期にNSCにも入ったんです。養成所の時、今のニュークレープというトリオのまんまM-1出て、3回戦ぐらいまで行ったんですよ。今考えたら養成所生で3回戦までいったらなかなか優秀じゃないですか。
ーーー超エリートですよね。
はい。そこで調子乗って、ちょっとイケるなと思ったんですよね。それで、お笑い1本にしたいと思って、大学は辞めました。
ーーー映画の制作側と、芸人の二つの選択肢を残しておくために、両方に入学したんでしょうか?
映画が好きだったんで、「作ってみたいな」という気持ちはありましたけど、全然お笑いやるつもりでしたね。大学は親に言われたから行ってるぐらいでした。
ーーーお笑いをやりたいというのは、いつ頃から思い始めたんですか?
「やってみたいな」っていう好奇心は、多分高1の頃にはありましたね。大阪にずっと住んでたんで、寄席番組とか結構やってたんですよ。でも出てるのって、師匠の人ばっかりで、「漫才はおじさんがするもんや」って勝手に思ってたんです。けど、『オンエアバトル』とか『M-1』で若い人がやってるのを観て、「お笑いって、こんなにいっぱい種類があんねんな」と思うようになりました。
ーーー最初にお話をされていた、“芸人” っぽくない活動への葛藤というのは、どんなものだったんでしょう?
僕は絵とかデザインとか作るのが、ほんまに好きなんです。大阪吉本にいた時も、自分たちの単独ライブのフライヤーの演出とかを考えるのが好きでした。でも、そういうのはやっぱりむっちゃイジられるんです。ちょっと「かっこつけ」みたいに映るんですよね。今だと、振り切ったスタンスの芸人も居るじゃないですか。僕はそういうのになりかけて、ボキっと折れたやつなんです。周りのイジりを「もっとお笑いやれや」って意味なんかなって捉えて、しばらくやらなくなりましたね。
でも、イジられてるぐらいがちょうどいいんですよ。何もしなかったら、何も言われないんですから、やらないよりやった方がいい。今考えれば「間違ってんで」って言ってたんじゃなくて、お笑いにしてくれてたんだなって思えます。
ーーー考え方が変わったのは、コロナウイルスの流行やSNSの発達なんかの影響ありますか?
そうですね。結構影響はありましたね。みんな(コロナで自粛になって)仕事がないって一旦思いますけど、僕はやっぱり「考えること」が好きなんでね。考えることなんか家が1番できますから、「大チャンス!」「考える時間めっちゃある!」みたいな感じでした。それで、自分ができること言ったら、絵が描ける、動画も編集はできるから、パソコン的な何かができる。映像作ることもやってみたかったんで、TikTokもやっちゃおうとなりました。だから作業ができる、頭使える時間が増えたので、僕はすごくラッキーって感じでした。
自分にしかできないことを追求する
“オリジナルで作って人に聴かせた時○○みたいだねって言われたら最悪だ。恥ずかしい。
好きだから始めた事やし、当たり前に意識したり尊敬する人は居るはず。
けど、そういう人への意識をどれだけ消して、自分を残すかの作業が必要。
独りよがりかもしれないけど、そういうのは必ず必要だと思う。
最初の最初なんて、勝手に作って勝手にやってただけなんだから、とことん勝手に作らないと。
早くこんなの自分くらいしかやりたいと思わないだろなに辿り着きたい”
note「時代を見るけど、だからどうするとかはしない。」より
ーーー最近はコンテンツが多様化して、「万人に理解されなくてもいい」というような雰囲気もあると思います。ナターシャさんはどのようにお考えでしょうか?
そうですね。むしろ好きなことしよう、寄せるのはやめようと思いましたね。ひねりだしてっていうか、オーディションとかに寄せて作ろうとしても、多分満足いくようなものにならへんのちゃうかなっていうのもあるし、機会はそれだけではないだろうし。
機会が欲しくて、いろんなオーディション行ってみよう、いろんなネタ作ってみようという時期もありました。でも、結果に繋がらなくて。それに時間費やすんだったら、自分ができること、得意なことだけをしようと思いました。
それで、得意なことが何かに引っかかるきっかけは自分で作ってやろうっていう考えにかわりましたね。オーディションもありますけど、すごい不定期だし、年に何回かしかない番組だってある。だから、出れる機会とか、チャンスとかは、自分で作る。トピックスとか、ニュースを自分で作るしかないと今は思ってます。もう待たない。
ーーーナターシャさんにとって、オリジナリティーとはなんでしょう?
そこにたどり着いた理由があるってとこじゃないですかね。例えばネタを考えようとなった時、分かりやすい設定の方がええからとりあえずコンビニでなんかしようか、って始めるとするじゃないですか。これって、ウケようとはしてるけど、面白いこと・好きなことをしようっていうところからは始めてない。自分にとってすごく面白く感じた出来事って、多分他の人からすればあんまり共感できひんことかもしれないので、ネタを作るっていうのはそれを共感できるように、箱を変えるみたいな解釈ですかね。
「この人はそれを面白いと思ったんだ」ってことが、見てて伝わるってのが、オリジナリティーじゃないかなって思います。ランジャタイとか見てると、国崎は多分これがめっちゃおもろいって思ってんねんやろうなっていうことがわかるじゃないですか。あわせてないっていうか。「こう言ったら面白いだろう」っていうことよりも、「自分がこれめっちゃ面白いと思う」っていうことを追求すれば、あんまり人とそこまで被らないっていうことに繋がるんじゃないかな。
ーーーただ、一方でウケることと、自分が好きなこと・面白いと思うことが、違うこともあると思います。この時に矛盾する観点とどういう風に折り合いをつけて、ネタなどを作られているのでしょうか?
やってみて、「あぁそうか、あんま伝わらんか」で終わることが多いですね。また別の解釈で持ってこれるかな、ってストックみたいな感じにはします。でも、だからといって粘らないです。もうちょい頑張ってみようかとかはあんまりならないです。
ーーーナターシャさんは割と執着なく、どんどん新しいものを作っていこうというタイプなんですね。
そうですね。アイデアマンなんで(笑)、次が結構すぐ出るんです。
飽き性ってのもありますし。1個をそんな長くっていうのはあぁもういいわってなりますね。次違うこと思いついちゃってるわってなりますね。
ーーー伝わらなかった時に、もどかしさみたいなものを感じることもないんでしょうか?
そこまでないですね。ヘコむことはヘコみますよ。むっちゃスベる時ももちろんありますし。それが賞レースがだったりとか、自分の人生がかかってるみたいな日だってあるわけじゃないですか。でもあんまやいのやいの言ったって状況変わんないですから。昔は結構ヘコむ期間長かったんですけど、意味ないなと思ったんで、切り替え切り替えって感じです。その日1日だけむっちゃヘコんでいっぱい、いっぱい寝ます。
芸人は1番何をしてもいい職業
“僕にも一年かけて賞レースで勝ち上がるためのネタを仕上げて、無理だったからまた一年頑張るというスパイラルに陥った時期があった。
ただ本当にそれだけを毎年していた。
数年前から、それがまずいんじゃないかと思い始めた。
さっきも書いたけど、芸人は1番何をしてもいい職業だと思っている。
そう思っているのにネタを作る以外のこと何もしていない。この矛盾にハッとした。”
note「芸人は面白い。けど、お金を稼ぐのは下手。」より
ーーーホームの転落の前ぐらいから、お笑いとの向き合い方に違和感を感じていたのでしょうか?
そうですね。このちょっと前、叔父さんが交通事故で亡くなったんですよね。そこら辺からこのままでいいのか、みたいに思うようになってたんですかね。
それもあって、最初の目標に1回戻ろうと思ったんです。僕はお笑いが好きで始めてますけど、賞レース勝ちたくて始めた訳ではないんですよね。けど、今は賞レースのことばっか考えてて。その先に自分が目標にしたところがあるのかなって考え始めたんです。最初にお笑いやりたくなって目標としてたのは、ラーメンズさんみたいに単独ライブで全国回って生活するみたいな生き方でした。けど、そのラインに到達するのは、この芸歴からだとなかなか難しいんじゃないか、とか思ったりもして。
そうなったら、その目標じゃなかった時、もっと手前に戻ろう。やっぱり創作するものは好きだし、それを人に見てもらいたいっていうのはある。てなったら、やっぱり絵も描きたい、漫画描くのも思い出してきた。芸術作品、立体作品を作るのも好きだ。これがちょっと面白いというか、笑えるような絵画作品だったりとか、立体造形の作品でも笑えるものだったらいいんじゃないか、っていう解釈に変わってきて。もうじゃあ「笑える」っていうとこだけ置いといて、別にコントだったり、漫才だったりじゃなくてもいいんじゃないかって思えるようになったんです。
媒体をあんま気にしなくて良くなってきたら、すごい楽になってきたんです。視野が狭かった感じが、一瞬で取り払われた感じがして。そういうのをもうちょっとやっていけるようになりたいな。だから、自分の中の芸人像がだんだん広がってきたというか。芸人ってほんとに色々いるじゃないですか。もっと間口広げてやってみたいなっていうのが、僕が最近思うようになったことです。
賞レースにかけてる人は、いっぱい居ると思います。そこの意識もすごい大事だと思いますし、僕らもキングオブコント決勝行きたいなっていう目標を持って、今年は、コントばっか作ろうみたいな感じでやってきました。自分らのコントに関しては、そこしか考えてないですけど、他の活動もあんまり抑えずに、やっちゃおうみたいな感じにはなってますね。
劇場でやるコントはコントでもちろん好きですし、漫才も大好きです。けど、もっと幅広くなんか表現する方法っていうのは、まだあるんじゃないかな。っていうか、その方法の種類を考えることの方が楽しいなと思ってます。柔軟に考えていったら、いろんな表現方法があるなとは思うので。そういう意味では、固執せず、他の媒体に他の土俵を作ってしまおうっていう解釈ですかね。
アニメのナターシャ(ナターシャYouTubeチャンネル)
ーーーネタを作るときと、他のものを作るときに意識することは異なりますか?
なんとなく思うのは、YouTubeとか、TikTokって媒体は多分ヒットが打てないといけないんですよ。初見の人が見て、他どんな動画あんのかなみたいに思えるような。ホームラン最初打っちゃうと、次見た時あんまりな可能性もあるから。だから安定してヒット一旦打ちつつ、要所要所で賭けに出るようにしてます。じゃないと、多分ハートが持たないですね。
ーーーネットの方がトリオとしての活動より、自由度は高いのでしょうか?
そうですね。ただ、自分でやるしかないので、やっぱり自分の脳みそのスケジュール管理をしてくれる人が欲しいですね。すごい気まぐれで、全然違うこと考えたり、どんどん時間かかりそうなことばっか思いついちゃうんで。
ーーー総じて今、楽しいですか?
めっちゃ楽しいですけど、めっちゃ時間ないです。好きでやってるから、やること全部楽しいです。受験勉強してる時に、部屋の掃除めっちゃ進むじゃないですか。そんな感じで、今やってる漫画とか、アニメとかやってる時、違うこと考えると、楽しくなってくるんです。それがまた増えてくんですよ。やってることが、だんだん作業に変わって、しんどくなる。そしたら別のこと考えるんで。別のこと考えたらまた新しいこと考えちゃう。また後付け、後付けでどんどん増えていく。だからそれでやってないこと結構あります。誰か買ってくれと思いますね、そのアイデアを。思いつくは、思いつくんで。考えてる時はむっちゃ楽しいんで、これを形にしてくれる人が欲しいです。
文:西岡 編集:福田