芸人になっていなかったら、今なにをしていたと思う?《春とヒコーキ「VIP ROOM HARUHIKO」第29回》

『VIP ROOM HARUHIKO』は、春とヒコーキがバーのVIP ROOM で本音を語るような、そんな場所。

‟語りつくされた、でも正解はなく、各々で考え方が異なる”普遍的なテーマについて、ぐんぴぃと土岡がそれぞれの視点で綴ります。

今月のテーマは、「芸人になっていなかったら、今なにをしていたと思う?」。


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theme. 芸人になっていなかったら、今なにをしていたと思う?

ver.ぐんぴぃ

ろくな職業についていなかったと思います。結構ゾッとします。

「俺は音楽に感謝している。ミュージシャンをやっていなければ猟奇的殺人者になっていただろう」と漫画のデトロイト・メタル・シティ(あまりに懐かしい)で読みました。そんな大仰なものではないですが、褒められた仕事はしていないでしょう。具体的に書くと、転売ヤーになっていたかもしれません。「俺はお笑いに感謝している。芸人をやっていなければ転売ヤーになっていただろう」。最悪だしダサいなぁ。

芸人になる前はチェーンの古本屋で店長をしていました。本が好きで、何かしら書籍に関われる仕事がしたかったのですが。当時の上司からは「本への思い入れを捨てろ、ただの売り物だ」「商品棚には本ではなく札束が詰まっていると思え」と徹底的に教え込まれました。

売れ線のタイトルより自分が好きな作品を商品棚に並べたら売上は落ちる。本をいち商材にすぎないものと捉え、思い入れなくドライに接する方が成功する理論は納得できました。数年働くにつれ本への愛情は薄れ、その代わり商売そのものの面白さにのめり込んでいました。

このタイミングで‟せどり”に出会います。古書店で市場価値より安く値付けられた本を買い、ネットで高く売って利ざやを稼ぐ者を指す業界用語で、今で言うところの転売ヤーです。希少価値の高い本ばかり店頭から根こそぎむしり取るので、せどりは古本屋からカメムシぐらい嫌われています(店から追い出したりする)

しかし僕が働いていた店は売り場面積が小さく、在庫が常に倉庫を圧迫している状態でした。そのため一度に数百冊も購入するせどりを容認していました。次第にせどりに声をかけてコミュニケーションを取るようになり、連絡先を交換し、大量の仕入れがあった日は店がパンクせぬようわざわざ呼びつけたりしていました。せどりを利用していたのです。

中にもやり手の男がいました。鈴木(仮名)と名乗る青年はせどりで財をなし、家族を養っていました。彼のせどり力は高く、本以外にもあらゆる商材で利ざやを稼げると豪語しており、時にはスーパーマーケットでセールに出ていたオムツの転売で儲けていました。一方、限定品やアーティストの高額チケットの転売はやらないと決めていて、クスリ稼業には決して手を染めないゴッド・ファーザーのマフィアみたいでした。正直なところ、彼の話は聞き応えがあって面白かった。最終的に鈴木にはときどき高級焼き肉を奢ってもらっていて、懐柔されていました。

せどり行為には、眼力で商材の本質的な価値を見出す事が不可欠で、適正価格で売り抜かねばならない。それが商売の原始的な面白さに繋がっている気がして。よくない事ですがちょっと興味があったのを覚えています。鈴木は今、せどりのセミナーを開いているらしいです。僕がもし芸人になっていなければ熱心に聴講していたかもしれません。

しかしせっかく芸人になったからには、商売やお金稼ぎとは距離を置こうと決めています。経済活動から離れて、面白いことだけ考える。なるだけお金に囚われずに生活できているのは幸せです。


ver.土岡

今現在の自分には、芸人をやるか、何もしないか、の二択しかない。芸人は、お笑いをやりながら他のジャンルにも挑戦していい土壌があるので、何かやりたいことがあれば芸人と同時にやればいい。それ以外の欲求と言えば、趣味欲と生活欲と散歩欲。それらを満たす方法は、仕事をしないこと。だから、基本的には、「お笑いをやりたい」と「何もしたくない」の欲求しかない。

でも、人生をさかのぼったら、ありえたルートって何だろう?国語の先生だろうか。高校で勉強についていけなくなったとき、国語はノートを見返せばテストで点が取れることに気づき、そこから国語の授業だけは楽しかった。具体的なひとつの出来事を描いている物語が、「人間とは」、「世界とは」という普遍的なことを表している。それがカッコよくて、物語最高、と思うようになった。それで大学も日本文学科に進んだし、部活でやっていた落語も「了見」を重視する文化なので好きだった。

国語は、友達もいなくて勉強もしんどかった自分に差した一筋の光だった。だから、国語の先生になっていたら、自分みたいなヤツに届けるつもりで授業していたと思う。「現実は難易度が高いけど、フィクションを貪るのって興奮するし、心と頭のいろんなとこを刺激されるぞ。いっそフィクションと向き合うことを人生にしちゃえばいいじゃん」が座右の銘の教師。ただ、大学1年生のときに、教員免許を取るための「教職課程」というやつをさぼって2回で授業に出なくなり、国語の先生になるルートは途絶えた。険しい道だった。

そんな根性のない人間だし、実際には芸人になっていなければ、やっぱり何もしていなかったと思う。ニート期間を経て芸人になったけど、芸人にならなかったら、実家に帰って、親が見つけてきた仕事をやったり辞めたりだと思う。

中学2年生、13歳のとき、学校の授業で十年後の自分に手紙を出した。そのときは、将来のやりたいことなんて決まっていなかったのと、中2のイキりユーモアで、「10年後の自分へ。まあ働いてるとは思う」という、やれやれ系のラノベ主人公みたいな出だしのメッセージを書いた。その手紙は、本当に10年後に自分宛に郵送されるようになっていて、23歳の思いっきりニートになっている自分のもとに返って来た。中2の自分が書いた「10年後の自分へ。まあ働いてるとは思う」の一文を見て、悶絶した。このくらいは何があってもクリアしているだろう、と設定した低いハードルで見事にコケていて、めちゃくちゃ恥ずかしかった。しかも、その手紙は実家に送られていて、便箋ではなくハガキだったので、親にもそのメッセージを見られている。罠、はなはだしい。

子どもの頃は、大人になったら当たり前に何かしていると思っていたけど、「何かをしている」ことのハードルってこんなに高いんだなと気づかされた。あと、本当に10年後の自分に届くようにしてくれていた学校の計らいが素敵だなと思った。


文:春とヒコーキ
編集:堀越 愛、サムネイル:つるみ32

PROFILE

タイタン 所属

左:ぐんぴぃ
右:土岡 哲朗

★公式プロフィール:https://www.titan-net.co.jp/talent/haruhiko/
★公式YouTube:春とヒコーキバキ童チャンネル【ぐんぴぃ】