復活を遂げた君には痛ファンの群れの先頭をゾンビコスプレで走ってもらおう。【南 翔太「御何様」第5回】

『御何様』は、芸人・南翔太による写真×文章の連載。
編集部が南に27枚撮り使い捨てカメラを渡し、1か月かけて自由に撮影。撮れた写真から想起する文章を綴る連載である。

使い捨てカメラは、スマホやデジカメとは異なり「現像するまでなにが撮れているかわからない」のが持ち味。どこでなにを撮るのか、そしてどの写真を選ぶのか、何枚選ぶのか、なにを書くのか……すべてを南に委ねてみた。

ネッコとヒット

吾輩はたまに猫である。世にも奇妙な物語のときのタモリさんぐらいの頻度で。だから猫の気持ちがよくわかる。タモリさんぐらい。でも猫を飼うことはない。そもそも好きではないし、世話をするのは人間の仕事だから、自分が猫になったら自分で手一杯になる。ネコの手も借りたいぐらいだ。お前のことじゃニャい。

猫になるととたんに頭が悪くなる。活字は読めなくなるし、映画は柄の変わる布に見えて気持ち悪い。更に吾輩には野性の経験がないからか、自力で餌をとってくることもできなくなる。とかく人間にできることはできなくなり、周りの人間の世話なしでは生きられなくなる。

周りの環境も変わり果てる。光が入らなくなった窓の外に夜目を凝らすと、格子柄の何かが見える。外に出てみると家全体に布団が覆い被さっている。屋根の上にはどうせミカンが乗っかっているのだろう。コタツになったんだよな家は。ミカンを確認しに行かないのは、裸になった四肢から直に伝わる外のタイルの冷たさと、外の世界が自分を見る目の冷たさ。そして唯一引き継がれる高所恐怖症のためだ。ニャんでやねん。こうして家から出るのが億劫になる。

人間に戻るとそれらすべてが思い込みであったと気づく。厳密にはグラデーションで変化するので、ヒヨコがニワトリになる過程にある養鶏場がひた隠しにするほどキショいビジュアルの時期もあるが、ひた隠しにしているので安心してほしい。気張れば見た目だけは人間らしくいられるのである。

最初に猫になったときのことは覚えていない。
猫にならない方法、猫になりそうになったときの対処法、猫になったときの処世術など、気づいたことや調べたことはすべて猫大全なるものに記してある。

猫が原因で失ったものも多い。
未知だった多忙や人間関係のいざこざで、猫の発現をコントロールできなくなっていった俺は、苦肉の策として姿だけは人間のフリをするようになった。人間をするのは難しかった。体力は猫のままなので基本的に横になっていた。横がトレードマークになった。気を抜けば肉球になる手には、大切なものを掴み続けられるだけの握力は残っていなかった。ので、かぶりついた。噛む力もなくなっていった。やがて飯が食えなくなった。いや元々俺少食やんけ。酒で誤魔化した。口が入口から出入口にニャった。禁酒。しかしヤニはニャーと相性が良いャニ。ニャがて煙が入る隙もニャくニャった。禁煙。人とニャーすのがニャにニャった。禁人。ニャーニャーニャーニャーニャーニャーニャーニャー NYAH NYAH NYAH NYAH NYAH NYAH NYAH YAH YAH YAH YAH YAH YAH YAH YAH YAH YAH YAH YAH hang in there!病まない心で

いつの間にかチャゲアスを歌っていた。人間に戻れたという意味である。ASKAが覚醒剤で人間を辞めたことがあるのがここにきてややこしい。清原が2000本打ったと聞いたときもややこしかった。

期間にしてどれぐらいだろうか。幸い、俺は毎日更新のYouTubeの圧倒的エースなので、後から映像を確認できたのだが、見事に境目が分からない。俺は自分が思うより、猫のときに演じる人間が上手く、人間のときに演じる人間が下手だった。

あれから数年経った現在、猫になる気配はない。飯を食って煙草を吸って酒を飲んで酒を飲んで酒を飲んで血を吐いたりしている。頼もしく分厚くなった猫大全を尻目に、人間メモと書いたペラ一の藁半紙には「18日16:30歯医者」とだけ書いてある。捨てた。

救急隊の方と連絡を取り合う中で11月24日8時現在、君との接触がとれたと一報を受けた。面識もなければ、本名も年齢も何も分からない、辛うじて聞き取れた住所だけを頼りにしたやりとりには骨が折れた。「僕はニートと居候とたかさきの居候をやっている芸人の南翔太で、応援してくれている女性が死にそうです」という説明は、先方が変わる度に何度も聞き返された。確かに詰め込みすぎだ。満員電車は回送電車に等しい。ひとまず意識があり、一命は取り留めているとのことで、今回のコラムを書き始めた。

君からのDMを遡って見てみると最初は「みなみ すき」という焙煎された内容だった。
俺が自分にきた殺害予告のDMを茶化しながら晒したときには「絶対守るから!」「殺害者殺害したる」という物騒な反応をしていた。よくいる痛ファンの一人だ。現に覚えていなかった。君を認識したのは11月10日だ。

[南くんお願いがあります。
1年間同棲してた彼氏と毎日一緒に1日も欠かさず、にいた見てました。にいた見て笑ってご飯食べるのが生き甲斐でした。
「今日のタイトルなんだと思う?」って予想してサムネ見て「よっしゃ神回だ」って大喜びするのが幸せでした。
元々鬱病なので笑うってことが私にとっては奇跡みたいなことで、にいたのおかげで救われました。このYouTubeのおかげでどれだけ笑うことができたか、感謝してもしきれません。
別れてからにいた見れてなくて、ふと気づいたら自殺してしまいそうで今は親がつきっきりでそばに居てくれます。
こんなdm送ってしまってごめんなさい。
大好きで大好きな南くんに「生きて」って言ってほしいです。]

先に断っておくと、この類いのものは律儀に考えだすとキリがなく面倒臭いのでやめてほしい。今回の場合は、返答の文言まで指定されていたのが返す決め手となった。そうと決まれば持ち前のサービス精神から刹那の長考。刹那の長考は1分である。「生きて」という模範解答は「死んだら殺すぞ」という△になった。深刻にならないように、少しでも俺の血の通ったものになれと願った短文に、君は素直な言葉でたくさんの感謝を伝えてきた。
俺の言葉はプライド混じりのものだったと気づいた。君のことを考えると共に、自分がどうありたいかを考えた。自分を責めている訳ではない。俺は感謝も謝罪も愛情も何もかもそんな風に表現して生きてきたし、それは俺が多くの人間に愛されるために必要な、文字通りのライフハックだ。俺は無理のない範囲で、気分で、そのときの気圧次第で、人の助けになれたらなる。

11月24日6時に届いたDM
[南くん、私死んじゃいそう
死んだら殺すぞ守れなくてごめんなさい
南くんのおかげで少し生きれた、お母さんにもにいた観てねって伝えた
たくさん笑わせてくれてありがとう
大好きです南くんはずっと笑ってずっとずっとずっと幸せでいてほしいです]

気づいたのは1時間後、はっきり言って一線を越えた迷惑だ。人間の所業ではない。目にした人間の感情を決定する呪い。無視をするのにも気力がいる。何かできることができてしまったからだ。通話機能を使い、先述の救急隊とのやり取りにつながる。

復活を遂げた君には痛ファンの群れの先頭をゾンビコスプレで走ってもらおう。そして過去のコスプレマラソンランナーの例に倣って、一瞬で痛ファン群からリタイアし、一定の距離を保ったファンになってほしい。ファンでなくなっても構わない。白バイに乗って痛ファンを牽引されるよりは幾分マシだ。だが最悪そうなってもらっても構わない。着払いにしといたから、それを着たら死ぬまで走れ。

「猫は死ぬ姿を飼い主に見せない」という迷信があるが、実際のところはガンガン飼い主の目の前で死ぬらしい。厚かましい。
しかし、よく考えてみれば迷信通り飼い主の前で死なない猫も、どこかで知らない人間や、一方的に好きな人間の前で死ににかかっているとすると、これまた自分勝手で厚かましい。
もう猫は死なないでくれ。生きて。

吾輩はハゲデブニートである!信号はまだ赤い!時間ねぇから早速本題入るけどメンタルヘルス上手くいってない感じ?!インスタtakasakiyusuke373!全部変えてやる!あばよ!生きて(ウインクはここで)

PROFILE

南 翔太

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・公式YouTubeチャンネル:373ch 


《ニートと居候とたかさき》
・公式YouTubeチャンネル:ニートと居候とたかさき 
・書籍:嫌なこと全部逃げてみた 

文・写真:南 翔太
編集:堀越 愛
サムネイル・プロフィール写真:つるみ32