『御何様』は、芸人・南翔太による写真×文章の連載。
編集部が南に27枚撮り使い捨てカメラを渡し、1か月かけて自由に撮影。撮れた写真から想起する文章を綴る連載である。

使い捨てカメラは、スマホやデジカメとは異なり「現像するまでなにが撮れているかわからない」のが持ち味。どこでなにを撮るのか、そしてどの写真を選ぶのか、何枚選ぶのか、なにを書くのか……すべてを南に委ねてみた。
Bar

友人との生産性のない時間が愉しく、今日を終わりにしたくなかった。終電で帰る友人を見送ったあと、同じ雑居ビル内にある初見のBarにひとりで入った。やがて飲み足りないのではなく、話し足りなかったのだと気づいた頃には、さっきまでの今日が、暦通りの今日になっていた。
髭の店員から、注文は備え付けの紙に書いて渡すようにとの説明を受けたが、それが界隈で珍しいことなのかどうかの確証が持てず、説明の最中、なんとか相応しい顔と相槌を捻出していた自分は、狡猾で滑稽だった。そんなことを考えなくて済むようになるため仰いだメニュー表には、値段が明記されていない。勇気と財力がないと馬鹿にもなれなかった。馬鹿じゃなくてよかったとも思えたのが、余計馬鹿みたいだった。
店に入るまでの酔いは醒め、地獄みたいに冷静だった。始発までにはまだ時間があるのに、地下であるためかスマホは圏外で、もうやることがないのに、無理やり延長された時間をただやり過ごす余裕もなくもがくこの感じは、プリクラの落書きタイムの延長時間を想起した。美化された自分の顔の口元を隠すスタンプを真剣に選ぶ女の横顔を思い出して、それすら美化しているだろうと思った。
横並びのカウンターの奥には若い男女が静かに座っていて、男は何度かウイスキーについての質問を店員に投げかけ、得た情報を手話で女に伝えていたのが印象的だった。
手話で会話している人が善良な人に見えてしまうのは何故だろう。聴覚障害者、あるいはそうでない手話者と、彼らの内面深くまで窺い知れるほどに関わった経験はない。小学校の課外授業だったかで一度、簡易的に手話を学んだ経験はあるが、そのような場があったという記憶以外には何も残っていない。テレビや映画で観たイメージによるものだとすれば、なんのバイアスもなかったあの頃はどう見えていただろうか。覚えていないが、曖昧な記憶の断片を都合よく解釈して利用してしまうよりはよかった。自分にはそういうところがある。
なにかを確かめるために彼らと関わりたくなった自分に厭気がして、氷が溶けて薄くなった酒をいっきに飲み干した。店員に会計を頼むと、55000円の伝票を渡され、桁をひとつ間違えているのだろうと思ってすぐに、それでも高いと思い直した。
「すみません」店員は返事をしないまま、こちらへ向き直った。「これ合ってますか?」「はい、そのように認識しております」そのように認識しておりますかと食い気味に復唱してから、何度かのやりとりを経て、内訳の確認をすると、店員はバックヤードへ入っていった。
奥の男は青ざめた表情を浮かべていて、その背後から女が、男の視線の先を窺うようにしてこちらを見つめていた。似ている女優が浮かんだが、名前までは思い出せなかった。カウンターを挟んで店員側にある机の上には彼らの注文であろう紙の束があった。
「ここは初めてですか?」男に尋ねると、驚いた様子で「はい、これぼったくりですよね?」と答えた。店員とのやりとりの中で、彼に聴こえるようにわざと大きな声で会計の値段を口にしていた。「とりあえず女の子に説明できますか?」
そのタイミングで店員がバックヤードから戻ろうとしていた。するとまだ何も理解していない様子の女が、注文の紙を店員に渡そうとしたので、急いで駆け寄り、紙を奪った。一瞬虚をつかれた女は、すぐに紙を取り返そうとした。流れを理解した男が、必死に手話で事情を説明しようと試みたが、なぜか女はそれを無視して、尚も強引に紙に手を伸ばそうとするので、やむを得ず男は女を抑えようとした。そこに遅れて店員も加わると、3人は席ごと倒れ込んだ。蚊帳の外になり、手持ち無沙汰から紙に目をやると[ケーサツとか言いだしたら桁一つ減らしていいよ]と書いてあった。その字には見覚えがあるような気がして、ここがプリクラの中であることを思い出した。

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南 翔太
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文・写真:南 翔太
編集:堀越 愛
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