足の小さい俺は、大は小を兼ねるだろうと期待せずに足を入れるとぴったりで、祖父のものだった。【南 翔太「御何様」第8回】

『御何様』は、芸人・南翔太による写真×文章の連載。
編集部が南に27枚撮り使い捨てカメラを渡し、1か月かけて自由に撮影。撮れた写真から想起する文章を綴る連載である。

使い捨てカメラは、スマホやデジカメとは異なり「現像するまでなにが撮れているかわからない」のが持ち味。どこでなにを撮るのか、そしてどの写真を選ぶのか、何枚選ぶのか、なにを書くのか……すべてを南に委ねてみた。

祖父

祖父が死ぬのは何度目だろう。
事故に遭ったり、風邪をこじらせたこともあったが、ベタに癌が多かった。祖父が死ぬと面倒な行事や、嫌いな授業がある日の学校に行けなくなった。祖父の死で欠席した運動会の来賓席に、祖父がいたと担任から言われたことがあった。慌てて空の棺の中に、もう一人の祖父をそっと詰め込んだ。他殺だったかもしれない。

町長としての祖父は、学校行事や地域のイベントでは来賓として紹介される流れ作業の一部だった。知らないハゲや、知ってる白髪が、端から順に頭を下げる中、ただひとりお辞儀をしない黒髪オールバックの祖父を見るのは、ある地域の義務教育の一環だった。
PTA会長の父は、それを補うためか、不祥事を起こした俳優が報道陣の前でするような、嘘のお辞儀をしていた。
「ネタバレしたらあかんで」と念押しながら、父が前日、異様な熱量で固めていたスピーチも、実際の炎天下には焼き払われた。アドリブでダラダラ要領の得ないことを話し切ると件のお辞儀をして、それを合図にして俺は熱中症で倒れた。
母方の祖父と父との血縁関係は存在しない。間を取れない0°と90°の二人、その間すら取れないのは誰の血のせいだろう。

東京から新大阪を目指して乗った新幹線、気がつけば名古屋で降りていた。京都行きの特急に乗り換え、車内で駅構内の売店で買った冷えたとんぺい焼きを食べた。京都駅で降りると、そこはやはり京都駅ではなかった。たこ焼きの焼き上がりを待っている内に乗り遅れそうになり、とんぺい焼きを選んだのが敗因かもしれなかった。京都じゃない駅からは、駅員からお墨付きをもらった急行電車に乗り、運転するように慎重に近鉄大和高田に到着した。随分遅れて到着した息子を、母は車で迎えに来ていて、祖父は土庫病院で死んでいた。後部座席に乗り込み、重苦しい車内の空気を薄めないように注意を払いながら、カラオケ採点の音程をなぞるように「しゃあないなぁ」と言った。ここで泣いたら更に加点で、母の悲しみを癒せるかもしれない。母は娘だから泣いていた。筆舌に尽くし難いといった様子の娘と、こうして言葉にする孫。それぞれのツケが回ってきた。そんな気がした。

祖父は、認知症が進行するにつれ、近所の客として入れる建物を軒並み出禁になり、数年前、遠くの老人ホームに入所した。彼の気に食わなかったようで、少し戻ったところにあるワンランク上の施設へ移り、最期まで過ごした。ルームシェアって当たり外れあるやんな。高額な費用は、祖父の貯金で賄われたというから立派なもんだった。施設では毎月、入居者の親族に宛てた冊子が作られ、表紙には入居者の写真が使われた。祖父は、表紙に自分が載っていないと露骨に不機嫌になったようだ。健忘の特性を活かし、冊子を見る度に新鮮に怒りを覚えるため、施設の職員は、冊子が祖父の目に入らぬよう留意していたらしい。すべてを捨てても、自己顕示欲は捨てられない辺りが、自称ミニマリストみたいだった。施設のレクリエーションで生花に取り組む祖父の写真は、画素数の荒さにも助けられ、なかなか男前だった。印刷の細部にこだわり、周りを振り回していた祖父がそうなったのは皮肉なことだった。

中卒の祖父は、蕎麦の配達の仕事を初日で飛ぶなど、職を転々としながら、のらりくらりと結婚し、三十代で印刷会社を立ち上げた。耳の痛いことしか言えない祖父の代わりに、元捨て子で人当たりのいい祖母が、すべての外交をこなすことで歯車が噛み合い、刷るようにお金を作った。やがて、のちに生まれる弟(叔父)に知力、体力、気力を置き土産にして、母が生まれた。アホみたいに父と結婚し、順番がきて俺が生まれた。

棺に入れるスカウトハットは、生前祖父が愛用していたものだった。友人の葬式でそれを被って出席し、周囲から明らかに浮いていたことがあったらしい。
家族葬ということもあり、私服でもいいと言われたが、喪服をレンタルした。浮かないためではなく、初めての葬式を葬式らしくしたかった。母から革靴はあると聞いていたので、それを履くことに決めていた。足の小さい俺は、大は小を兼ねるだろうと期待せずに足を入れるとぴったりで、祖父のものだった。

幼い頃、共働きの両親の仕事が終わるまでの時間は、祖父の工場に預けられた。インクや熱を帯びた紙の匂い、断続的に響く印刷機や断裁機の轟音は、今でも暖かみをもって思い出せる。薄い紙に絵を描き、厚紙で凝った何かを組み立て、段ボールの家を建てた。従業員の叔父は忙しい合間を縫って、一緒に工作や、丸めた紙でキャッチボールをしてくれた。祖父は、そんな叔父や他の従業員に無茶振りするばかりで、基本的には干渉してこなかったが、その存在は圧倒的だった。
俺のソフトクリームの絵をササっとウンコに変えて去ったり、紙工作をゴミ箱に放り込んだりした。老害ここに極まれり。「邪魔や」と言い放たれ、段ボールの家を足でペシャンコにされた際は「申し訳なさそうにはやれや」と言い返した。諦めるところは諦めていた。

そんな日々の贖罪のつもりか「長寿村」というスーパー銭湯に連れていってくれたことがあった。懐柔されてたまるかと腹で唸りながらも、都合よくワクワクしていたが、喜びも束の間、祖父は泳げない俺を、深いプールのど真ん中に遠投した。水面はプールサイドの緑の床より硬く、息が吸えなくなり、シャッターを切ったように、破顔する祖父を含む景色が止まって見えた。ない頃合いを見て、溺れる俺を救出した巨悪の腕の中で、復讐を誓った。金持ちのくせにケチと噂されていた祖父に、経済的損害を与えるのが、復讐の全容だった。

祖父を頻繁に長寿村に誘うようになった。雑にプールを堪能し、さまざまある食事処の中で最も高級そうな寿司屋に勝手に入り、一番高級な寿司セットを注文する。祖父は先払いを済ませるとなぜかいなくなる。たいてい広い敷地内のどこかで煙草を吸っているのだった。工場に帰ると「今日もおじいちゃんにダメージを与えてきた」と毎回律儀に報告し、その度に叔父は悪そうな顔で労ってくれた。スパイ気分だった。

葬式は想像とはかなり異なっていた。坊主はおらず、歌を歌い、草を回転させる。形成される不思議な空間に、見様見真似で喰らいついた。
祖父の革靴は経年劣化で、式中に底がボロボロになり、うんこヘンゼルとグレーテルみたいになったため、廃棄した。クソジジイ。

葬式に父の姿があったのは意外に思えた。父と母は稀に連絡は取り合うものの、婚姻関係はすでに解消している。父は慟哭していた。泣く父を目撃するのは二度目だった。一度目は、俺が所属していた少年野球チームの卒団式に同席した帰りで、玄関を開け、リビングの床に荷物を置くやいなや、号泣した。「愛されキャラやなぁ思て」と言い訳のように述べて嗚咽していた。冗談でないとわかってからゆっくりドン引きしたことを覚えている。落ち着きを取り戻すと、すまんすまんと連呼しながら生活の動線に戻っていった。
あの日と同じように背中は遠く感じられ、置いてけぼりにされたような心持ちになった。祖父とは犬猿の仲のはずだった。

祖父は副業でファミリーマートのオーナーをしていた。母が三和町店の店長、父が工場と隣接する店舗の店長を務めた。ファミリーマートファミリーと、さすがに思った。母より先に仕事を終えた日は、父が工場に迎えにくる。そこで祖父と父は、毎日のように口喧嘩をしていた。日によって争点は変わったが、要するに祖父が金派、父が愛派に映った。父の前職はパチプロで、北斗の拳でラオウを昇天させ、家族を養っていた。愛を取り戻せ。父を全面的に応援していた。
五年生の頃にファミリーマートは潰れた。その跡地で父は「クリスタルガラス工房 ミナミ」という、世界観系コント師の意外とネタ書いてない方みたいな名称の仕事を始め、又潰れた。資本金は祖父が出していた。それ以降の祖父と父の関係は知らない。

火葬が終わるまでの間、親戚一同で高い弁当を食べた。食の細い祖母がよけた分も、率先して食べた。猿使いの猿と同じで、人の子らしいことをしたら祖母が喜ぶからそうした。
大昔、親族の宴会のような場で、隅で遊ぶ俺のところにやってきた祖父が「これ飲んでみぃ」とおちょこに入った日本酒を飲ませ、むせかえる様子を見て猿みたいに笑っていたことを思い出した。匂いや周囲の反応から、飲んではいけないものと認識しながらも、祖父が笑う気がしたからそうしたのだった。
祖父はどこだろう。祖父は炎上していた。みんなは知っているから食欲がなかったのかもしれない。

骨は軽く、係の人の神妙な語り口に笑いそうになった。

工場で祖父の定位置だった椅子に腰を降ろし、祖母、母、叔父とともに思い出話をした。俺が長寿村で復讐していたとき、祖父は一番安いうどんを食べていたようだ。あの頃なら飛び跳ねて喜んでいただろう。今は照らし合わせる。

俺は隅で遊んでいる。
祖父は御神酒を飲ませようと企んでいる。
俺はカッターナイフを使ってみている。
祖父はバレないように心配している。
俺は寿司を旨そうに食っている。
祖父は安いうどんをすすっている。
俺は聞き耳を立てている。
祖父は綺麗事だけではだめだと説いている。
俺はボケている。
祖父はボケている。
俺はボケている。
祖父は死んでいる。

掛け違えの痕を見つけても修正することはできない。解釈を変えたとて、当時の感情は変えられないはずなのに、実際にすべてが楽しかったことを思い出した。白で挟むことで全ての黒をひっくり返すようなものではなく、白を黒だと思い込んでいただけだったというような。思い出より確かな記憶だった。

紙を丸めたように笑いながら、祖母が「あんたはおじいちゃんによぉ似とるわ」と言った。母と叔父はそれを否定して、代わりに父に似ていると主張した。耳が遠い祖母は「せやんなぁ」と当てずっぽうに返した。俺はすべてが嬉しくて、色々、色々あって、父が母に養育費を払うために抱えていた借金を肩代わりすることになった。俺の人生が相変わらず最高だ。

祖父が死んだので〆切遅れました。

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南 翔太

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文・写真:南 翔太
編集:堀越 愛
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