SNSとの付き合い方《春とヒコーキ「VIP ROOM HARUHIKO」第38回》

『VIP ROOM HARUHIKO』は、春とヒコーキがバーのVIP ROOM で本音を語るような、そんな場所。

‟語りつくされた、でも正解はなく、各々で考え方が異なる”普遍的なテーマについて、ぐんぴぃと土岡がそれぞれの視点で綴ります。

今月のテーマは、「SNSとの付き合い方」。


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theme. SNSとの付き合い方

ver.ぐんぴぃ

ラジオで共演した佐伯ポインティさんに言われて、忘れられないことがあります。

「ぐんぴぃさんってSNSで一般の方に絡みますよね。それって昔の2ちゃんねるの頃のネット交流を再現しようとしている気がします」(概要)

食らいました。2ちゃんねるを再現しようなんて考えもしなかったから。ネットは双方向に交流して当たり前だと考えていました。つまり、僕のネット観が古いんですね。

最近の人たちにとってSNSは自由に発言できる場所です。例えばテレビで気に入らないシーンが放映されていれば、リビングで文句の一つも口をついて出るというもの。応援していた球団が酷い負け方をしたら、思わず罵倒してしまうことだってあるでしょう。

それをネットに放流しているだけ。テレビの向こうの人間に意見を届けたい人なんて少ないのでしょう。

僕は割とエゴサをします。特にXは体重をかけて運営してきました。良い意見にはお礼を言い、ある時期までDMは全て返信していました。半年に一度と制限を定めた上で、気に食わない発言者とリプライの応酬をしていた。どれもファンサのつもりでした。レスバもファンサ。汚い言葉で罵ってくるアンチに反応するなんて時間の無駄だけど、ムカつくし、たまには思いっきり戦って交流しとくか、みたいな。無視するのも可哀想だし。

それとレスバトルって側から見ると、底辺の羽虫同士が取っ組み合いをしているようなものですから。微笑ましいというか、優越感を覚えられて僕は好きです。絶対に愚かだし。「賢者は戦わない」なんて文言もあるぐらいですから。

ぐんぴぃみたいな馬鹿よりはマシかって、心が軽くなってくれたらいいじゃない。

そんなスタイルの僕からリアクションがくる。最近のSNS利用者からすると、テレビに文句を言ってたら、それが突然言い返してきた感覚。定食屋で斜め上のモニターに映っていたぐんぴぃがこちらと目が合って反論してきた。そら怖いか。確かに「1984」のビッグブラザーみたいだもんな。

数ヶ月前に「最近のぐんぴぃは天狗だと思う」といった文章が投稿されていました。僕はナルシズムで家庭をぐちゃぐちゃにした父への反面教師で、天狗にだけはならないように細心の注意を払って生きてきたつもりでした。それでも気付かぬうちに天狗になるものだと、オリラジのあっちゃんがしくじり先生で解説してたけど。

だから本当に気になったし、鼻が伸びてしまっているなら教えてもらいたくて「ご教示いただきたいのですが、どのへんが天狗に感じましたか??真剣に気をつけようと思います」と返信しました。

険がある言い方にならないよう、つとめて丁寧にしたつもりでしたが、逆に慇懃無礼な、腹に据えかねたものがある物言いと捉えられ、一部のファンたちがその方に突っかかってしまいました。発言者の方ご本人とは意見を交換できて、割と仲良くなれた気すらしているんのですが。大枠としてはちょっと揉めてる、みたいな感じになってしまいました。

会う人みんなに「天狗って言われて怒ってましたよね」とか。「レスバしててガッカリ」とか。福留光帆さんにも「リプライで返すなんて絶対におかしい人」って言い切られました。あの人はあの人で、切れ味が強すぎ。

まぁ、馬鹿だなぁと思ってくれたらいいんですけど。大層 誤解を受けました。世の中は良い誤解と悪い誤解しかないから仕方がないけど、面倒でした。

アンチにはエンタメで返すのがトレンドなのかもしれません。友人の三千院ナギ男には「レスバは笑えない」と注意されました。

ラランドのニシダによるアンチ反論の動画、カミナリさんが所ジョージさんに扮して、アンチのコメントを印刷したプリントをエアガンで撃ち抜く動画(説明してるが、なんだこれは。面白すぎるだろ)、他にも、佐伯ポインティさんもそうですが、YouTuberはアンチコメントを動画にしがちです。大体が見事なものです。

ただ、そのまま返した方が香ばしいし、同じフェーズで争う方がフェアに感じたのです。古い。

芸がない言い訳かもしれません。

冷笑露悪時代を引きずる人間の末路なのだ。人間の嫌な部分を見続けていたい、だから嫌な人間でありたい。そんな自我が芸を超えてしまった。面白くトリミングしたものではなく、獣の如く暴れる様相こそを楽しんでくれ、と。それは甘えだな。反省しました。

でもいつかね、そこもエンタメになるような人間になりますよ。己を切り売りしてショーにしているのだから。SNSはサーカス。玉乗りクマとしてがんばります。


ver.土岡

SNSは、どのスタンスで向き合ってもダサくなってしまう恐ろしい存在だと思う。

SNSで暴れたり、周りから「あの人、リアルではそんなこと言わないのにSNSだと強気だな」と見える発言をしたりするのは、分かりやすく後ろ指を指される。スマートに仕事感満載の使い方をしている人も、意識高い系と言われたり、有意義であろうと必死な人に見えたりする。

じゃあ、楽しく気軽にSNSをやったら何も言われないじゃないかと思うけど、違う。前述したような人たちがいる中で楽しくSNSをやっていると、わざわざ道化を演じて「自分は心健やかですよ」のスタンスを“取りに行っている”ように見える。SNSは、人と会ってないときもわざわざ人に発信するための道具なので、全てに「そのスタンスを選択した」感じが出てしまう。

アカウントはあるけどSNS上に全然現れない人だって、SNS下手と思われる。SNS疲れで離れる人さえ、SNSに振り回されている人ということになる。

もうSNSが現れたことで、全人間のスタンスが、誰かから見たらダサいと言えるようになってしまった。そして、SNSネイティブの世代からすると、こんなことをグダグダ考えているのも旧人類なんだろう。また、この発言も「おれはおじさんなの自覚してるからさ!へへ笑」って仕草なんだろうな。

SNS含めスマホをついつい見て時間を取られてしまうので、スクリーンタイムの機能で、一日何分までしかXを見られない、と設定している。その上限の時間にすぐ達してしまうので、すぐに「15分延長」のボタンを押す。もう、延長するのが当たり前なので無意識で延長している。たまに「延長するんじゃ意味ないから、上限の時間をもう少し緩く設定して、その制限時間は絶対に守るようにしよう」と、上限時間を変更する。で、延長する。自分がSNSに負けていることを突きつけられ続けている。

ぼくはたまに、ラップをしたがる動物たちにXのアカウントを貸してあげることがある。動物たち曰く、ピン芸人・徳原旅行をどうしてもラップで告発しないといけないらしい。徳原さんは同期だし、ぼくも初対面の動物の言うことを鵜呑みにはしない。でも、今の所SNSは人間しかアカウントを作ることができないので、そこは動物にアカウントを貸すことがフェアと判断し、貸している。動物たちは、ぼくのXに動画を投稿し、徳原旅行にこんなことをされたと怒りをぶちまけている。徳原さんは完全に否定を貫いている。ぼくはどちらの立場につくわけでもないけど、議論の場というのもSNSの役割になっている。議論=怖い、攻撃的、と遮断するのも排他的だ。SNSによって世間のいろんな流れが目に入ることを学習だと思って受け入れよう。


文:春とヒコーキ
編集:堀越 愛、サムネイル:つるみ32

PROFILE

タイタン 所属

左:ぐんぴぃ
右:土岡 哲朗

★公式プロフィール:https://www.titan-net.co.jp/talent/haruhiko/
★公式YouTube:春とヒコーキバキ童チャンネル【ぐんぴぃ】