男の血は両親にも流れちゃっていたから、そういったことには気づけなかったのだ。【南 翔太「御何様」第11回】

『御何様』は、芸人・南翔太による写真×文章の連載。

お題はなし。『御何様』は、南が自由に綴る連載。何度も読んで噛みしめて、描かれた世界をとことんしがんでください。

下村

吊り革ひとつ。みんながなんとなしに掴めるところ、男は無意識にはできない。
例えば手首まであの輪っかに突っ込んでそのままだらっと脱力して、全体で見れば干されているような感じになっていたりする。今がそう。衣類の方がまだ脱水の意識を感じる。なんやお前。
オートモードで動くと世の雰囲気から逸脱したような、そんなふうになってしまうから当人としては気が抜けない。常に高速道路の合流のような感じで、気を張ってタイミングを見計らい、クラクションに怯えながら平身低頭、馴染ませていただくような次第である。
動くで言えば、ひとまず可動域を狭くしておけばいいと思っている節がある。ダンスを踊るなら腕を伸ばしきらない、腰を落としすぎない、そんな塩梅でなんやろう、全力でやらない。剥き出しの全力でやると滑稽なふうになり、馬鹿にされるならまだしも不快な思いをさせてしまうからだ。まぁダンスは踊らない。

こんなことがあった。
男は中学にあがるとなんかナチュラルに野球部に入った。子供会野球部でスライディングするなどしてつけた僅かな自信と、新たな部活に入る恐ろしさからだった。
入部してすぐに男は陰で嘲笑される。小学校の上履きを履いていたからだ。他の部員がスパイクや、少なくとも運動シューズを履いているのだから、その異常性に気づきそうなものだが、男は勿論、男の血は両親にも流れちゃっていたから、そういったことには気づけなかったのだ。いずれにせよ、それは男の意識の外にあることなので知らぬが仏だった。

数週間後、本格的な練習が始まった。四列で順番に歩きながらのストレッチからだ。一二、三と上級生から順番にアキレス健を伸ばすストレッチを続ける。男の番がくる。ザワザワと次第に周囲の視線が男に集約されていく。セクシーポーズと揶揄されているのだ。プークスクス。途中で修正を試みるが、どうもうまくいかない。言われてみればどの筋も伸びていない。そのままキメの多いランウェイのような形で右に左に妖艶を振り撒き、ひとしきり嘲笑をいただくと、復路を待つ間に決死の修正。その様子も見られているわけだから視界からそれを省きたい訳だが、四面楚歌がそれを許さず、自然にうつむく形になる。
上履きに書いてある文字、それを無心で暗唱して平静を取り戻そうとする。
下村下村下村下村下村下村下村下村下村下村下村下村下村下村下村下村下村下村

アンダーソン、と下村は思った。
これアンダーソンいけるやん。
下村は生まれたときから下村なのであって、下村は記号的で意味を持たない下村なのである。下をアンダー、村をソンに変えて別の名前に作り替えるという作業ができたのは、異常なことだった。
復路から下村はアンダーソンになった。
どういうことか。
自信というよりは水の方がまだ近いぐらい正体不明のなにかに満ち溢れた。関節は音が鳴るまで曲げ伸ばし、指先は反り返るようだ。先輩にタメ口を効き、同級生には敬語を使い、先生を無視する。どういうことか。無論、そんな暴挙が許されるはずもなく集中砲火を浴びる。
さぶいて。きしょいねん。変ぶんな。おもんな。しね。
だがアンダーソンはツルっとしていた。まるでアンダーソンだけが台風の目にいるように、アンダーソンの奇行による四囲の喧騒を裂いて、のびのびとしていた。
遅刻して職員室に入ると授業中で不在の担任の机に座り、何食わぬ顔で机上の書類に精緻なドラえもんを描いた。
購買で大人気のパンを買い占め、半額で転売、不気味がられて大量の在庫を抱えた。
風邪で休んだ修学旅行先にスーツ姿で出没し、ずっと電話をしていた。
合唱コンクールの練習でふざける男子を再三注意した女子を第三者としてボコボコにした。
土下座をしたりさせたりした。

電車が揺れる。
吊り革だけが揺れている。

吊り革だけが揺れているやないかどこで降りてんお前。

PROFILE

南 翔太

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《ニートと居候とたかさき》
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文・写真:南 翔太
編集:堀越 愛
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