物語がない面白さ! 松本人志初監督作「大日本人」の魅力

映画『大日本人』は、ダウンタウン・松本人志氏の初監督作品であり、同時に映画初主演作でもあります。主人公の大佐藤が電流を浴びて巨大化し、獣(じゅう)と呼ばれる敵を倒すヒーローもの……という設定を取りながら、松本氏独特の笑いとテンポが唯一無二の世界観を構築しています。

大佐藤の戦いがマンネリ化していることに飽きた市民は、「自衛隊に任せればいい」と言うようになります。一方、大佐藤は、自分の代でヒーローの歴史を終わらせたくない気持ちや、今までのプライドなどから、ヒーロー稼業の引退に二の足を踏み続けていました。

この「わかってもらえない有名人」というポジションは、松本氏の笑いに対するスタンスを想起させます。それは、松本氏が生み出す「わかる人とわからない人が現れる笑い」です。

本作最大の特徴は、「物語」が無いところ。映画文法に沿った構造であれば、起承転結をベースに人物の葛藤と成長が描かれ、ラストで伏線回収し終幕……でしょうが、『大日本人』はそう進みません。彼の、ヒーローとしての「日常」が淡々と進んでいきます。時折、獣(じゅう)との戦いが挟まれますが、躍動感あるシーンもなければ、緊迫する瞬間が描かれることもなく、ただ淡々と、勝ったり負けたりする日常が流れます。

上記のようなイビツな構成ながら、観客の興味を持続させる理由として、「松本氏のしゃべりと、獣(じゅう)との奇妙な掛け合い」の二つが上げられるでしょう。

松本氏のしゃべり、と聞くと、まず想起するのが『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系列)のOPトーク。現在は休止状態ですが、『ガキ使』の名物コーナーのひとつでした。松本氏独自の発想から溢れる言葉たちに、相方の浜田氏がツッコミを入れる。……それは、さながら漫才のようです。

『大日本人』でもこうした漫才的な掛け合いが見れるのでは……と思うと、肩透かしを喰らいます。あくまで本作は、ドキュメンタリー形式の構成。あるがままの日常風景には、笑いの掛け合いは存在しません。大佐藤も、彼を取り巻く取材班も、そして彼のマネージャーも、ただ淡々と「報連相」を繰り返すだけ。しかし、時折見せるおかしな間合い、ワードセンスが、不思議な笑いを誘います。大笑い、ではなく、心の奥でクスリと笑う。そんな掛け合いが、見る側の興味を持続させます。

その掛け合いは、獣(じゅう)との戦いでも披露されます。

板尾創路氏が演じる「匂ウノ獣」は、ビル付近に居座り、動こうとしません。大佐藤が帰るよう説得するも、聞く耳を持たず、終始口論を続けます。大佐藤が「帰れ」と叫ぶと「来たとこだ」と匂ウノ獣が答え、足元の車を蹴ってウサ晴らし。戦うでもなければヒートアップするでもない奇妙な掛け合いが延々続きます。ヒーローと獣(じゅう)が淡々と口論している……というこの構図が、不気味さと同時に面白さを生んでいます。

匂ウノ獣のほかにも、髪の毛を揺らして迫ってくる、顔はどこかで見たことがある獣(じゅう)など、個性豊かな敵がやってきます。その造形の奇妙さ、独自性、そして端正なフルCGで制作された獣(じゅう)の質感や動きは、なぜだかじっと眺めてしまう面白さ、魅力があります。ウルトラマンなどの特撮を観て育った松本氏ならではの「怪獣造形へのこだわり」が見れるのも、『大日本人』の魅力のひとつです。

大佐藤を襲う「髪の毛を揺らして迫ってくる獣」

『大日本人』の評価・感想をネットで調べると、酷評が真っ先に目に入ります。いびつな構造ゆえの見づらさ、わかりにくさ、テンポがシーンごとに変わる点が冗長的に感じるなど、観る人を選ぶ作品なのは間違いありません。

しかし、前述した「他の邦画にはない独自の魅力」が本作にはあります。未鑑賞の方はぜひ一度、鑑賞してみてください。

文章・イラスト 小池太郎

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