松本人志『遺書』が終わらせた思春期

『遺書』(1994/朝日新聞社)は、ダウンタウン・松本人志が「自分たちの“お笑い”」を語った一冊。中学時代、この本を読んだことがきっかけで人生が変わったという小池太郎さんが、当時のエピソードを語ります。

小学校を卒業して1年後に、誰しもぶち当たる巨大な壁「思春期」。

私も例外ではなかった。同級生と比べて自信を失い、周囲の目を気にしてみんなと歩幅を合わせる日々。息苦しい毎日のわずかな楽しみが、図書の時間だった。毎週1時間、図書室で好きな本を読める。

いつも『かいけつゾロリ』シリーズばかり手に取る私の目に、ふと飛び込んできたのは『遺書』の文字。著者は、松本人志。あのお笑いの……。気になり、背表紙をつかんだ。ページをめくるたび現れる「うんこ」と「ばかやろー」の文字。松本人志は権威や同輩に中指を立て続ける。彼の姿は、周りばかり気にして背を曲げていた中学の私にとって、概念が覆る存在だった。

遺書の続編、『松本』では、この本を出版した朝日新聞社にすら「もっと部数刷れバカヤロー!」「おっさん、ツルツルの脳みそで考えろよ」とまくしたてるのだから、向かうところ敵なしどころか敵を自らつくりに行っている。

しかし彼はそれでも堂々としている。というのも、彼は「人と違う」ことこそ素晴らしい、という美学を持っていて、自分はそこにビタ、と当てはまるから、自信が潰えないのだ。私は逆だった。周りとどこか違う部分を見つけては、その都度抹消していった。

しかしそんなことをしては、いつまでも自信がわかないのは当然だった。なぜなら「人はそれぞれ違う」から。松本人志の「違う」ことに誇りを持つ姿勢は、私を勇気付けた。以来、周囲と違う自分が誇らしくなった。誰に褒められるでもないイラストや小説を書いた。鼻で笑われても「自分だけが分かっている」という優越感が湧いた。

そして今、私は当時書いた漫画をWebに投稿し、当時書いた小説を映画化している。彼がいなければ、おそらくこんなことはしていないだろうし、今頃曲がった背を伸ばそうとすら思っていなかったに違いない。唯我を貫く孤高の天才は、私の「思春期」を終わらせた。

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