【『芸人年表』vol.2 ~タモンズ~】全国を漫才1本で巡る、タモンズは“今”がもっとも面白い。模索の先に見つけた結論は「お客さんとともに生きていく」〈1万字インタビュー〉

芸人の歴史を深掘りし、年表とグラフをもとに話を聞くインタビュー連載『芸人年表』。連載第2回に登場するのは、吉本興業所属のタモンズ。

『芸人年表』は、登場した芸人に「今話を聞くべき」と思う芸人を紹介してもらうリレー形式の連載。タモンズにバトンをつないだのは、第1回に登場したリニアだ。タモンズとは同期であり、THE SECONDで切磋琢磨した同志。「活動シーンはメジャーではなくライブ中心なのに、全国ツアーという面白い試みをしている」と推薦をもらい、インタビューが実現した。

★リニアインタビュー:M-1のおかげで胸を張って漫才師だと言えるようになった。葛藤を経てセカンドに挑む、リニアの歴史

タモンズ(左:大波 康平、右:安部 浩章)

タモンズは、高校の同級生として出会った。芸人を目指して上京し、2005年にNSC入学。2012・2013年には「THE MANZAI」で認定漫才師に選ばれるなど好調に見えたが、その実ふたりの想いには距離が生まれていた。「大宮セブン」加入で一時持ち直すも、結果が出ず漫才に対する自信を喪失。低迷期は数年続いた。そして現在は、「THE SECOND」に挑戦中。グランプリファイナル(5月18日放送予定)進出を決め、その動向に大きな注目が集まっている。

コンビ継続の危機やM-1ラストイヤーを経て、今が「一番漫才に自信がある」と語るタモンズ。その自信の裏側には、一体なにがあるのか。タモンズの芸人人生を振り返る。

それぞれの芸歴グラフ

大波のグラフ
安部のグラフ

【2005~2011年】東京吉本の父・山田ナビスコとの出会い

———NSC卒業後、どのように芸人人生がスタートしたのでしょうか?

大波 康平(以下、大波): 実はスムーズにNSCを卒業できていないんですよ。僕が授業をサボりすぎて、単位が足りなくて。

安部 浩章(以下、安部): ふたりとも出席日数はギリギリでした。「この授業にさえ行っておけばなんとかボーダーラインに達する」っていう日に、この人(大波)が起きたらもう間に合わん時間やって。

大波: 安部さんはその授業に出たんで大丈夫だったんですけど、僕は卒業公演に出れませんでした。卒業公演では、音響や照明をやったんですよ。その後の半年間は安部さんと一緒に街を掃除して、許してもらいました。

大波 康平

安部: 僕も一緒にゴミ拾いしましたね。

大波: コンビで反省の色を見せないと、ちゃんと卒業させてもらえなくて。

———では、同期から半年遅れて卒業できたんですね。

大波: そうですね。でも、その半年間もまったく活動してなかったわけではないんですよ。ちょうど卒業と同じ時期に無限大ホールができて、1年目の優秀やったヤツがオリエンタルラジオさんのアシスタントみたいな感じで舞台に立てたんです。僕らはそのメンバーには入れなかったけど、NSCで講師をしていた山田ナビスコさんが「自分のライブにタモンズを出してもええか」と掛け合ってくれて。吉本の正規のライブには出られなかったけど、山田さんのコーナーライブとネタライブだけは出してもらってました。山田さんっていうのは、「東京吉本の父」と言われている作家さんです。

安部: 山田さんのおかげで鍛えてもらいました。

安部 浩章

———大波さんのグラフを見ると、最初の数年はグラフが高い位置にありますね。

大波: NSC卒業してから4年くらいは、仕事って感覚がなくて。ネタつくって、仲の良い芸人とライブに出て、ウケて、飲みに行って、コンパに行って……そんな生活やったんで「売れる」なんてことは1ミリも考えてなくて、遊びやったんです。金はないけど毎日楽しい、みたいな。

NSCを出たあと、大波は「努力もしてないし、なんも考えてなくて、とにかく楽しい」数年間を過ごしていた

———この時期はM-1に出ても1~2回戦で敗退していますよね。その悔しさもなく?

大波: なんもないですね。緊張もしないし、落ちて当たり前やと思ってるし。出て、落ちて、「スベッたな」って言って友だちと飲みに行く。そんな生活です。だから、この当時はプロではなかったですね。

———安部さんのグラフは低いところからスタートし、徐々に上がっていきますね。

安部: たしかに最初の数年間はなんも考えてなかったけど、僕は生活できるようにバイトをきちんとやる人だったんですよ。この人(大波)はギャンブル・コンパという“THE芸人”な暮らし方をしてましたけどね。この時期はコンビで一緒に住んでいて、この人が家賃を滞納しまくる分を僕がずっとかぶってたんです。そのフラストレーションもありました。でも、芸人自体は楽しかったですね。バイトばかりしてたけど「夢に近づいてるのかな」と実感があった時期です。

芸人をスタートし、徐々に上昇する安部のグラフ。家賃のフラストレーションはあったが、夢に向かっている実感があった

———この時期、同居していたのに生活リズムが違っていたんですね。コンビ仲が悪くなったりはしませんでしたか?

大波: 家賃滞納して怒られることはあったけど、仕事で揉めたことはないですね。山田さんがたくさんライブを打ってくれたし、舞台に出れば笑いはもらえる。だから反省会とかもしないし、お互いに「もっとこうしよう」みたいな話をしなかったので。

安部: この時期は、吉本の本社が深夜もずっと開いていて、行けば常に誰かしらがおったんです。本社で山田さんにネタ見せをしてると、途中で「もう良いや、飲み行こう」とか言い出すんですよ。お金になることはひとつも無かったけど、そんな感じの日々でしたね。

大波: ただの青春です。

———お金はないけどやることはあって、充実感があったんですね。

大波: この4年間くらいは、「売れる」とか「テレビに出る」とか考えたことがありませんでした。とにかく「ライブでウケるヤツが一番偉い」みたいな感じです。

安部: 僕らに近いところだと、2008年にチョコプラ(チョコレートプラネット)がキングオブコント決勝に行きましたね。

大波: 当時、チョコプラとはユニットライブをやってました。でもテレビをまったく観てなかったんで、近いところの活躍も気にしてなくて。「誰が有名なネタ番組に出た」とかも、気にならなかったんですよね。

———では、まわりが活躍しても焦ることもなく?

大波: なんにも焦ってなかったですね。将来の不安もないし、「いつか売れるやろう」すら思ってないです。

まわりの活躍も目に入らないほど、最初は売れることを考えていなかった

———2010年に初めて「60分漫才」の単独ライブをしていますよね。なぜ60分漫才にチャレンジすることになったのでしょうか?

大波: 作家の山田さんに「やれ」と言われたからですね。で、やってみたらすごく良くて。

安部: ずっと、山田さんに「お前らは長尺のほうが面白い」って言われてたんですよ。僕らはM-1とかTHE MANZAIのことしか考えてなかったから、「60分漫才なんてやって意味あるのかな?」と思ってたんです。でも山田さんは「お前らは長尺のほうが面白いんやから、1回やってみろ」と。60分をギュッとして、4分のネタをつくれと言われたんですよ。

———芸歴4年ほどで60分ノンストップの漫才をするって、けっこうハードルが高いのではないでしょうか?

大波: そうですねぇ。

安部: でもやってみたら、意外と「もう60分なんや」みたいな感じでした。

大波: 今でも「もう60分なんや」と思いますよ。当時、60分漫才がトレンドやったんやと思います。山田さんが「漫才師は60分漫才をやれ」みたいなことを言って、囲碁将棋さんも僕らのちょっと前にやってました。

安部: 漫才師を鍛える一環でやってたんでしょうね。

タモンズは現在、60分漫才で47都道府県をまわるツアー「詩芸」を実施している。その根源となるのが、2010年に実施した単独ライブ「60分漫才」

———お話を聞いていると、山田ナビスコさんのお名前がたくさん出てきますね。

大波: たぶん、山田さんがいなかったら芸人辞めてるんじゃないですかね。NSCも卒業できてないですし。

安部: 僕らは劣等生やったけど、山田さんが見つけてくれました。さっきも言ったように2006年に無限大ホールができて1年目の芸人にも定期的に出番があったんで、期自体はすごく恵まれてたんです。でも山田さんが「1年目のヤツにそんな簡単に仕事与えたらあかんくなる」って言って、僕らや井下好井を抱え込んで無限大ホールに対抗するようなライブばっかやってたんですよ。山田さんに拾ってもらったのはデカいですね。

恩人・山田ナビスコを語るタモンズ。山田氏は、2022年に自伝的エッセイ『東京芸人水脈史 東京吉本芸人との28年』を上梓している

———山田さんがなぜタモンズさんを気にかけていたのか、聞いたことはありますか?

大波: 直感ですかねぇ?わかんないですね。

安部: 今になって思うんですけど、山田さんが「こいつおもしれぇんだよ」って連れてくる若手って、軒並み僕らみたいなヤツらなんですよ。ネタは完成されてないけど泥臭いというか……そういうヤツを連れてくるので、僕らも当時こんな感じやったんかなと思いますね。スマートなお笑いを知らないというか、できないというか……

大波: 芸人って「どっかのタイミングでめっちゃウケ出すやろな」ってヤツと、「一生ウケへんやろな」ってヤツがいるんですよ。山田さんは、今ウケてなくても「何年後かわからへんけど、急にウケ出すやろな」ってヤツを連れてきます。

安部: そうですね(笑)。僕らは、山田さんに「お前らは年をとったほうがおもしれぇ」とずっと言われてきました。だから、M-1に出ていたころも「大丈夫だ、M-1がダメだったとしても年とったらなんかあると思う」とずっと言ってくれてて。当時は「一生懸命やってんのに、このおっさんなんでそんなこと言うねん」と腹立ってたんですけど、今思うとその通りになりそうです(笑)。

【2012~2013年】THE MANZAIでぶつかった現実

———大波さんのグラフを見ると、2012~2013年は下降していますね。

2012~2013年にかけて、大波のグラフは下降

大波: ちょうどTHE MANZAIの認定漫才師になったころですね。それまでは渋谷や新宿の小劇場にばかり立っていて、ネタをすりゃウケるという状態だったんですよ。THE MANZAIの予選もドーンとウケて、いきなり認定漫才師に選ばれて。千鳥さん、ウーマンラッシュアワーさん、和牛さんとか、錚々たるメンバーのなかに入れてもらいました。僕らが一番くらいに後輩やったと思います。ただ、京都で行われた本選サーキットでありえないぐらいむちゃくちゃスベッたんです。このとき、初めて“プロ”に触れたんですよ。千鳥さんとかと一緒の舞台に立って、差に気付いて「もう無理や、辞めなあかん」と。認定漫才師には選ばれたけど、歯が立たない。「今まで一緒にやってたヤツらより、はるか上の戦闘力の人がおんねや」と真っ暗になりました。

※THE MANZAIは予選を経て認定漫才師に選ばれると、決勝進出者を決めるための戦い「本選サーキット」に出場することになる

———認定漫才師に選ばれたことで自分たちの実力を感じると思いきや、そうではなかったんですね。

大波: 選ばれたときは実力があるんだと思ったけど、サーキットでズタボロになりましたね。「普通にやればウケるやろ」と思ってたら、レベルが違いすぎた。そんときに初めて「漫才上手くならなあかんねや」とか「練習せなあかんな」とか思いました。

安部: たしかに、この辺の時期を境に、相方が賞レース前すごくピリピリするようになりました。僕はそれがしんどく感じちゃって。レベルがちゃうのはわかるんですけど、僕は楽観主義というか、お笑いをちゃんと考えてやってなかったというか……。こんな声でこんなキャラクターやから、イジられて普通に返したらウケちゃったりするんですよ。だから、深く考えたことがなかった。この時期から大波が「マジメにちゃんとお笑いやらないと勝てないんだ」というモードになって、それについていけなくなりました。

THE MANZAIがきっかけで、大波は「お笑い」を考えるように。安部はそれについていけなかった

大波: THE MANZAIで「このままやと辞めなあかん」とスイッチ入ったのはたしかですね。ネタで揉めることも多くなりましたし、けっこう強く言うこともあったと思います。

安部: 僕らはガッツリ喧嘩をするほうではないんですけど、揉めましたね。相方と僕の考えてることがズレはじめて。2014年から大宮セブンができて、収入がちょっと上がるんですよ。僕は結婚してたんでバイト辞めるわけにはいかなかったけど、一人暮らしなら食えるくらいはもらえたんです。僕はちゃんと考えてないんで、「認定漫才師もなれたし、なんか収入増えてきたぞ」という感じ。このままネタをやり続ければなんとかなるだろうと、浅はかな想いがあったと思います。

認定漫才師になり、収入も増え、楽観的だった安部。大波とのギャップが広がりはじめた

———この時期、おふたりの気持ちがだいぶ違っていたんですね。

大波: THE MANZAIで本物の漫才師に触れてから、僕が安部に対して求めるようになりました。

安部: 僕は大波の言うことに「わかった」とは言うけど、不服そうな顔をしていたと思います。「うまいこといってへんのを俺のせいにしてない?」みたいな感じになっちゃってた部分もあって。今考えると、理にかなったことを言ってくれてるんですけどね。芸人はじめた当初は、キャッキャ笑いながら一緒にネタを考えてたんです。それなのにこの時期から「こうじゃないとあかん、勝てへん」みたいなことを言われるようになり、なんというか、信頼できなくなったというか……信頼できないは言いすぎかもしれないですけど、仲は悪くなっていきました。

【2014~2015年】大宮セブン結成

———おふたりとも、2014~2015年あたりにグラフが上昇していますね。

2014~2015年でグラフが一時的に上昇

大波: 大宮セブンに選んでもらったタイミングですね。フラッと入ってきたお客さんを笑わすという、いわゆる寄席の仕事も増えて収入もパッと上がりました。

安部: 特殊な環境ではありました。初代の大宮セブンをつくった支配人が、とにかく街に出て飲み歩いて、仕事をとってきてくれて。僕らも一緒に飲みに行ったりしました。それもあって、仕事が増えましたね。

2014年㋆に、大宮ラクーンよしもと劇場がオープン。同年11月、大宮セブン(初代)が誕生した。メンバーはサカイスト、犬の心、ブロードキャスト‼、えんにち、マヂカルラブリー、GAG、タモンズ

———大宮セブンの皆さんも街の方々とコミュニケーションを取って、それが仕事につながったんですね。でも、本来芸人がやるべきことではない仕事をしていることに、反発はありませんでしたか?

大波: 嫌な社長と飲んでたら反発もあったと思うんですけど、みんなめちゃくちゃ良い人やったし、どっか面白い人たちだったんですよね。それに、もししんどいことがあってもGAGさんやマヂカルラブリーさんも一緒に行ってるから、ライブで話せて結局お笑いになるんですよ。

安部: カレー屋さんのホールの真んなかで、まわり全員外国人のなかネタをやったことがあります。僕らだけで行ってたら「なんやったんアレ」で終わっちゃうけど、ほかの芸人さんもいるので笑いながらやれてました。

大波: カレー屋のときは、窯の横で着替えてましたからね。着替えてると、窯を触っちゃって火傷するんですよ。そういうのも笑いながらできる環境でした。

当時は、大宮セブンとしてイレギュラーな仕事を多数こなしていた。まわりの芸人たちとライブ等で振り返ることで、エピソードトークにできたという

安部: 呼ばれて行ったらお祭りの実行委員会の飲み会やった、みたいなこともありましたね。あと、たしか大宮セブンとして最初の仕事が商店街でおしるこを配ることでした。今考えたらおもろいですよ。

大波: 時を経て、当時やってたことが財産になってますね。

安部: ただ飲むだけやったらしんどかったと思うんですけど、やってることが収入につながってたんで良かったです。だから僕らも、支配人に「ついていこう」と思えました。

【2016~2018年】「勝てるわけがない」とM-1から逃げた

———ふたりとも、2016年ころを境にどんどんグラフが下がっていきますね。なにがあったのでしょうか?

大宮セブン加入による上昇は長く続かず、2016年ころからグラフ下降

安部: 吉本の人事で、大宮の体制が変わったんです。大宮セブンをつくってくれた支配人って、やっぱり特殊な人やったんですよ。僕らみたいななんの結果も残してへんヤツを使って食わしてくれるという。大宮セブンとして結果を残せてなかったのもあり、体制が変わってから出番がどんどん減っていったんです。お笑いの仕事が減って、賞レースも遠のいて。僕は2016年に子どもが生まれて、金銭面もきつくなってバイトを増やさなあかんという状態になりました。この辺の時期はバイトを3つ掛け持ちしていて、眠いまま劇場に行ってネタやって、大波にいろいろ言われて、僕は帰りたくてしょうがない。コンビ仲も悪くなるし、一番きつい数年間でしたね。賞レース前になると大波さんがピリピリし出して、終わると「もうあかん」みたいな感じになっちゃうんですよ。この時期はそれが毎年続いてました。

コンビ仲が悪くなったといっても、一緒にバイクに乗って帰ることもあり壊滅的なものではなかった。「『顔も見たくない』みたいな仲悪さではないですよ」と安部

———「もうあかん」というのは、芸人を続けていくことが難しいということですか?

大波: そうですね。劇場出番を増やすためにはM-1しかないのに、M-1に出ても勝たれへん。今は配信があるので状況が変わりましたけど、当時は劇場だけで食べていくのは不可能やった時代。だから、賞レースで結果を残せるかどうか=続けられるか辞めるか、やったんです。賞レースで勝たれへんから辞めるっていうのが、当たり前の時代でしたね。この時期に解散した芸人のほとんどは、賞レースが理由ですよ。

———当時は、売れる手段が賞レースしかなかったんですね。

大波: それしかなかったです。売れるのはもちろん、出番を増やして収入を増やすにも、賞レースしかない。それなのに僕らはなんでこんな感じなん?と。この辺の時期は、しんどくて記憶がないですね。

M-1で勝てない、出番がない、収入も減る……記憶にないくらい、辛かった日々

安部: 僕がちゃんとお笑いに向き合えてなかったので、大波に言われることが過激なだけに聞こえてたんですよ。「M-1って甘いもんじゃないで」とか「勝つためには人とちゃうことせなあかんで」とか。当時は「たしかに誰もやってないことしてるけど、傷つく人いっぱいおるやん」みたいなネタもやってました。「そんなことせなあかんの?」と、どんどん混沌としていきましたね。僕がちゃんと向き合ってないことに対する反発もあったんだと思うんですけど、どんどんお互いの考えが離れていきました。

———お子さんが生まれてバイトを増やすことになったことも、お笑いに向き合えない理由だったのでしょうか?

安部: いや、そういうことじゃないですね。笑いを取るためにこういう振りをするとか、タイミングをはかるとか、漫才のロジックとか、そういう技術的なことを一切考えてなかったんです。

持ち前のキャラクターで笑いが取れていたため、深いことを考えなかったという安部

大波: この時期、僕がひとりで60分漫談するみたいなライブもはじめたんですよ。コンビの漫才に重きを置かず、トークでなんかに引っかかればええかみたいな気持ちもあって。2017~2018年は「もう無理や」と思ってたから、単独ライブもやってないですね。

安部: その時期、僕はオリックスとか特撮ヒーローとか、そういうテーマのライブばっかやってました。完全にコンビを切り離して考えてたというよりは「漫才はもう無理やから、お互い違う武器を見つけて、それがコンビに繋がれば良いな」という感じです。

大波はひとりのトーク、安部は趣味がテーマのライブ。単独ライブはせず個人活動に重心を置き、コンビで続ける道を探した

大波: 出番をいただいても「ただ出てるだけ」という感じだし、そんな人誰も応援しないですよね。覇気もないし、ファンの人もまったくおらへん。そういえばこの辺の時期に、山田さんが「ヤバイ」って思ったんでしょうね。若手が新ネタをやる「漫才道場」っていうライブに呼ばれたんですよ。お客さん投票で順位をつけるライブで、俺は「出たない」って言ったんです。でも「山田さんの仕事だから出よう」と言われて、17~18期生がいっぱい出る舞台に僕らも出たんですよ。そしたら、僕ら投票でビリやったんです。そんときに「もう終わりや」と思いました。張り詰めてた線が切れました。

大波「7年くらい下の後輩とバトルして最下位になるって、M-1勝てるわけないじゃないですか」

安部: 「戦うのをやめよう」ってことですね。賞レースは無理。

大波: そうそう。で、ひとりのライブをめっちゃ頑張るようになったんです。

安部: 芸人として諦めたわけではなく、賞レース以外もあるやんと。

大波: でも結局、賞レースしかないんです。だから事実上、逃げてるだけの状態ですね。

【2019~2020年】タモンズ崩壊の危機、そして転機の「Mライブ」

———2019年くらいにグラフが下降、翌年から上昇しています。この時期になにがあったのでしょうか?

グラフがもっとも下降した2019年を境に、グラフが上昇

大波: いわゆる「つき騒動」ですね。2019年にM-1で2回戦敗退して、完全に「もう無理」となり、タモンズにひとり加えてトリオになるという動きをしたんです。でもそれがギリギリで無くなり、この時点でM-1に出られる期限があと2年。あらためて「この2年で獲りに行こう」と話をし、そこから状況が変わりました。


※【「つき騒動」について】
2019年4月、タモンズはライブのノリで「つき」に改名。その年のM-1は2回戦で敗退した。そんなとき、メンバーをひとり加えてトリオ化する話が舞い込む。現状を変えるべくトリオになることを決心するが、囲碁将棋・GAG福井・マヂカルラブリー村上ら大宮セブンメンバーと時間をかけて語り合ったことで気持ちが変わり、ギリギリで回避。あらためて「ふたりで漫才に向き合う」ことを決意し、2020年1月に「タモンズ」に再改名した。

(参照)
・大波note「令和元年つき騒動」(有料):https://note.com/pockymonmi/n/n3c6329df179f
・『GAG CONTE CHANNEL』より【福井トーク企画】『つき改名騒動〜辞めんなよ、俺達タモンズの漫才好きなんだ〜』:https://youtu.be/d8mYufwxjCk


安部: あと、グラフが上昇する大きなきっかけのもうひとつが、コロナですね。コロナ禍で、大宮がいち早く配信を取り入れたんです。あと大宮セブンをつくった支配人が幕張に異動して、そこでも配信ライブが頻発するようになって。バイトはまだしてましたけど、収入がちょっと上がったんですよ。それで漫才に向き合う余裕ができて、ふたりの意思もガッチリ合って、目標に向かって進んでいける状態になったんです。

つき騒動とコロナ禍のライブ配信を経て、ふたりの気持ちが一つになった

———同じ目標に向かうにあたり、ふたりで話し合いをしたのでしょうか?

大波: しましたねぇ。

安部: 僕は、ちゃんと大波さんに「すみません」と言いました。「大波さんが求めるものを、微力ですがちゃんとやらしていただきます」と。大波さんに全ベットするというか、「大波さんがやりたい漫才をやろう」という気持ちになりました。

大波: コロナで劇場出番がなくなった時期、僕は「タモンズを続けていくためにどうしたら良いのか」をすごい考えて、本もめっちゃ読みました。それで、2019年までは全部自分のためにやってたけど、やっぱり「お客さんがいないと無理や」ということにたどり着いたんです。とにかくファンを増やさないといけない。そのためには笑わすしかない。バトルライブで後輩に負けてるような漫才師がM-1優勝する可能性はゼロに近い。じゃあネタを頑張るだけじゃなく「とにかくお客さんを増やして渦を起こさないと無理やな」と思ったんですよ。それで、この時期に「Mライブ」っていうのをはじめるんです。

タモンズ継続になにが必要か考え抜き、出した答えは「お客さんがいないと無理や」

———「Mを怨みMを憎みMに裏切られそれでもMに振り向いてもらう為の漫才ライブ」、通称「Mライブ」ですね。

大波: ゆにばーすの川瀬名人に「あと2年で結果を出さなあかん、助けてくれ」と頭下げに行きました。M-1は2回戦で落ちるような雑魚で、お客さんも持ってない先輩とライブやるって、後輩からしてもデメリットしかないと思うんです。でも川瀬は二つ返事で「タモンズさんのためならやります」って言ってくれました。ドンデコルテと田畑藤本も「タモンズさんが漫才に帰ってきてくれるならやります」と言ってくれて、一緒にライブをはじめることになったんです。こいつらに気合を入れてもらいましたね。

「Mライブ」は現在、タモンズ・ゆにばーす・ドンデコルテ・とらふぐ・トットの5組で開催している(大宮ラクーンよしもと劇場Xより) ※田畑藤本は2020年末に解散。田畑の新コンビ・とらふぐとして「Mライブ」に残った。トットは初期メンバーではなく途中から加入

———「Mライブ」はどんなライブだったんですか?

大波: けっこう特殊で、ライブが終わった後、芸人同士Zoomでダメ出しをするんですよ。ゆにばーすはM-1決勝を経験してるんで、その目線から意見をもらいました。今でも続いてるライブなんですけど、これをはじめたことはデカかったですね。このライブはターニングポイントです。

———自分よりも賞レースで結果を出している後輩に頭を下げるって、なかなかできることではないと思います。プライドが邪魔をすることはありませんでしたか?

大波: いや、2019年に「タモンズ辞める」まで行って、1回死んでるんでね。ギリギリで踏みとどまってるわけだし、残り2年で「絶対に獲りに行く」と決めたので。もう川瀬しかいなかったんですよ。

安部: そうですね。あいつらには感謝しかないです。

大波: だから、僕らのM-1は終わっちゃいましたけど「Mライブ」は続けてるんです。メンバーの誰かがチャンピオンになるまではやります。全員をファイナリストに送り込みたいですね。

【2020~2022年】お客さんとともに生きていく

———2020年に「Mライブ」をはじめて以降、グラフがずっと上向きですね。

大波: そうですね。このライブが転機になり、お客さんも増えた気がします。僕も「ファンを増やす」という動きに全振りしてましたしね。

安部: 「でっかいところで漫才をやりたい」「漫才で食べていきたい」と漫才に焦点を絞ったことで、お客さんも応援しやすくなったんだと思います。それまでは「この人たちのなにを応援すりゃ良いの?」って状態だったと思うんですけど、「タモンズが漫才で天下をとれるように応援したら良いんだ」と思ってくれるようになったというか。

目標が明確になったことで、お客さんがタモンズを応援しやすくなった

大波: クラウドファンディングもはじめたんですよ。どうやったら喜んでもらえるのかとか、SNSとか、すっごい勉強しました。

———勉強とは?

大波: キングコング西野さんの本を読み漁りました。何回も読んで、書いてあることをそのままなぞりました。安部さんはそういうの興味ないと思うけど、乗っかってくれてね。

安部: 最初は「大丈夫かな」と思ってましたけど、話を聞いて「なるほどな」と思って。大波さんが勉強してくれている分、僕は「会場をおさえる」とか細かいことをやるようになりました。

大波: やるってなったら全力で乗っかってくれるんですよ。僕が西野さんからパクッてるって知らないと思いますけど(笑)。

安部: 知ってますよ(笑)。

タモンズの活動において、ふたりの役割分担も明確に

———西野さんの本のとおり実践して、ちゃんと結果につながったんですね。

大波: お客さんは非常に増えましたね。コロナ禍で配信収入が入るようになったので、結局、お客さんが多くなったら食べていけるんです。売れる必要がなくなったというか、お客さんが全国にどれだけいるかの勝負になってくる。お客さんが多かったら旋風を起こしやすいし、それだけで勢いが生まれるじゃないですか。

———そういう気持ちの変化があったからこそ、M-1ラストイヤーで敗退しても、かつてのように「もうあかん」とはならなかったんですね。

大波: 落ち込みましたよ。僕的には今でも「なんで落ちたんやろう」と思ってます。でもネタに納得いっているので、2017~18年ころに落ちたときとは全然違いました。

安部: そうですね。「辞めよう」とは思いませんでした。

大波: 普通に「審査員がおかしいんかな」と思ってました(笑)。

安部: M-1終わった時点ではまだTHE SECONDがなかったので、一瞬目標は見失いましたけどね。

大波: でもこのときの僕らには、もう応援してくれているお客さんがいたので。こっからはどうお客さんを増やせるかの活動やなと思ってました。

2021年、M-1ラストイヤーは3回戦敗退。しかしこのときのタモンズには、応援してくれるお客さんがいた

———タモンズさんの活動を見ていると、ほかの芸人さんに比べてお客さんとの距離感が近いなと思っていたんです。これは、戦略的なものだったんですね。

大波: そうです。

安部: 今日も、このあとお客さんと草野球するんですよ。

———草野球ですか!お客さんというか、友だちみたいですね。

大波: そうですそうです。ほんま、全員友だちです。だって、この人らがいないと僕ら辞めなきゃダメなんで。

———THE SECONDでグランプリファイナル進出が決まったとき、大波さんが「ファンの皆さんおめでとう」と言っていましたよね。なぜだろうと思っていたのですが、理解できました。

大波: ファンの人がいて、タモンズをやれてるんですから。テレビに出ている芸人のファンと僕らのファンは、全然違う。僕らのファンは、直接僕らにお金を払って観に来てくれる人なんです。僕らはテレビに出る機会があっても、放送禁止用語を言うとかけっこう無茶苦茶してるんですよ。それは、ファンの皆さんが喜んでくれるから。お客さんが喜んでくれるなら、別にアンチが増えても良いんです。テレビのスポンサーがやってほしいことではなく、僕らのお客さんが喜んでくれることをしたい。そっちに全振りしてるんです。

「THE SECOND」グランプリファイナル進出決定直後の様子。ポストにも「タモンズファンの皆さんおめでとうございます。お待たせしました。今までひもじい想いさせてごめんよ」との記載が(大波Xより)

———多くの芸人さんにとって、テレビ番組に出演することは目標でありステイタスなのかと思っていました。タモンズさんは、違う方針なんですね。

大波: メジャーに生きるという人生は選んでいないのでね。僕はもう、お客さんとともに生きていくって決めたんです。

安部: テレビは「利用したい」と思ってます。僕らが漫才で食っていくためにも、テレビがきっかけでちょっとでもお客さんが増えれば良いなと。

大波: テレビに出て10万人に知ってもらって、9万9000人に嫌われるって感覚ですね(笑)。

———でも、1000人が応援してくれたら良いと。

安部: 篩(ふるい)にかけています。残った人をずっと笑かし続けるんです。

大波: アンチを気にし出すと、「これ言ったら嫌われるかな」と“ぬるなる”んですよね。それをし出したら「テレビでええやん」ってなって、劇場に来てくれなくなりますから。

たとえ9万9000人に嫌われても、1000人の濃いファンがいれば良い

———タモンズさんは、アンチがけっこういるのでしょうか?

大波: めちゃくちゃいると思いますよ(笑)。特にこの人(安部)。

安部: そうですね。

大波: すぐ脱ぐし、下ネタ多いし、セクハラ発言のオンパレードだし(笑)。でも、それを面白がってくれる人がいるので良いんです。

———たしかによく脱いでいるイメージがあって、なぜ脱ぐんだろうと思ってたんです。でも理由はシンプルに「喜んでくれる人がいるから」だったんですね。

安部: はい。空気を読んで急に脱がなくなったら、好きでいてくれた人が悲しんじゃうかなと思って。

大波: 「いかに深く愛してもらえるか」に振ってます。

安部: だから別に、嫌われて良いんです。

【2023~2024年】「詩芸」で友だちを増やし、漫才を鍛える

———2023年から、60分漫才で全国をまわる47都道府県ツアー「詩芸」がはじまります。なぜこの取り組みをはじめたのでしょうか?

大波: 僕らと友だちになってくれる人と出会うためです。

安部: 今は毎回100キャパ以下の会場を探してやってますけど、これをどんどん大きくしていきたいんですよ。

大波: 47都道府県ツアーは、「全国に友だちを増やしに行ってる」感覚なんです。各会場40~50人のお客さんだったとしても、直接笑ってもらったほうがテレビやYouTube越しより刺さると思ったんで。たとえば、47都道府県で各40人のライブをやったら、合計1,880人ですよ。もし100人ずつ集められたら、4,700人。200人集められたら、1万人弱……って計算です。僕らと友だちになってくれる1万人を探してるんです。

4月11日に開催された「詩芸」愛媛公演の様子。本公演のため遠征しているお客さんはもちろん、地元の高校生など様々な層が訪れた
愛媛公演の会場は、松山市のKITホール。ボウリングやカラオケ等が楽しめる複合施設のなかにある会場で、安部が自ら手配した

———「詩芸」は、自分たちで車を運転して全国に出向いているそうですね。「詩芸」をやることで、お給料がもらえるわけではないんですよね?

大波: 吉本がやってるんじゃなく僕らが自主的にやってるので、全部無給です。

安部: 無給だけど、ファンを増やすことにつながるんです。あとやってみてわかったんですけど、SECONDに関しては「詩芸」が相当力になってます。

大波: 結果的にね。

ツアーは大宮セブン号を借り、安部とスタッフが交代で運転。ツアーの様子は「タモンズの漫才旅チャンネル〜47都道府県への道〜」で視聴できる

———60分漫才と6分の漫才、全然違うように思います。なぜ「詩芸」がSECONDにも通じるのでしょうか?

大波: 単純に、筋力が付きました。60分漫才ってちょっとでも油断するとむっちゃ滑るんですよ。

安部: 「習うより慣れよ」の方針ですね。僕は頭で考えてその通りできるタイプじゃないので、とにかく鍛えるしかない。「詩芸」が一番良い筋力トレーニングになってます。

「詩芸」ツアーの資金は、クラウドファンディングで賄われている。リターンには現地で受け取れるグッズやご当地デザインポストカードのほか、タモンズレンタル券などが用意されている。ツアー場所によっては、打ち上げ参加権などもあり(6月の「詩芸」クラウドファンディングはこちらから)

———この芸歴まで漫才を続けて、ここでさらに筋力がつくってすごいですね。

大波: そうですよね。本当に変わりました。安部さんにいろいろ言うこともなくなったし、なんやったらネタ合わせもしないですし。舞台に出て行って、お互い「なんとかする」ができるようになりました。

安部: M-1のときは「思い描いていたネタをいかにちゃんとできるか」だったけど、考え方が変わりましたね。60分漫才は、漫才をしながらお客さんの様子を見て「全然つかめてないぞ」と思ったらグイっと肩を入れて笑いに持っていくんです。そういう、「なんでもええから笑いをとる」技術が身についたと思います。

大波: 毎月2回60分漫才の単独ライブやってるんで、僕らはSECONDに出てるなかで一番漫才をやってると思います。だから、誰が相手でもビビんないですね。

「誰が相手でもビビらない」と漫才に自信を見せるタモンズ

———SECONDグランプリファイナル、第1試合の相手はななまがりさんですね。

大波: ななまがりは、めちゃくちゃ面白いです。けど、ななまがり云々の前に、今はタモンズでやってる漫才に自信があるんです。

安部: ななまがりのことはすごいリスペクトしてるし、全ネタ面白い。でも「負ける気がするか?」と言ったら、またちゃうかなと。負ける気はあんまりしないです。2~3年前の僕やったら「勝てるわけないやんけ」となってたと思うんですけどね。自分に自信がついたなと思います。

———では、芸人人生で今が一番自信ありますか?

大波: ですね。

安部: 一番良いです。脂が乗ってます。

大波: 脂乗るまで時間かかりすぎやろ(笑)。

数度の不仲期間を経て

———これまでを振り返るなかで、度々「仲が悪くなった」という時期が出てきました。今、コンビの関係性はいかがですか?

大波: 今は良好ですね。

安部: そうですね。もうおじさんだし、喧嘩してるのもしんどいですよね(笑)。

大波: 僕は、安部さんに「求める」ことを止めましたね。スベッても、全部自分のせいやと思うようになったというか。求めずお互い好きなようにやる。で、できるところは助け合う。すごくフラットな関係になりました。あと、仮に安部さんがスベッても僕が助けに行くことで笑いになれば良いなと。それで笑いにできなかったら、「僕の助け方があかん」という考え方になりました。

タモンズは高校で出会った同級生コンビ。安部は「今も相方は友だちの延長線上にいる」と言う

安部: あと、大宮セブンの存在も大きいです。大宮セブンは、スベッても良い環境なんですよ。誰かがスベッても、後々別の場所でそれが笑いになる。スベることは悪ではないという環境なので、みんな答えが無くても自由にやるというマインド。それもあって、良い方向に向かっていると思います。

大波: そうっすね。やっぱ、GAG福井さんがデカいんじゃないかな。そのマインドを教えてくれました。

【これから】そしてタモンズは「伝説」へ

———直近の目標は、SECOND優勝でしょうか?

安部: そうですね。

大波: 絶対に獲りに行きます。

安部: やっぱ、吉本でやっていくには「称号」が大事なんです。称号があれば劇場に呼んでもらいやすい。これから漫才で生きていくって決めた以上は、称号が欲しい。獲りにいきます。

———では、もっと先にはどんな未来を描いていますか?

大波: 伝説をつくりたいですね。今はひとりずつ口説いている状況ですけど、お客さんが1万人、2万人、3万人と増えていったら……見えますよね。武道館とか。

安部: うんうんうん。

大波: オードリーさんが東京ドームでやったり、華大(博多華丸大吉)さんがPayPayドームでやったりしてますからね。将来的には、「詩芸」一本でどこまでデカい舞台に立てるか。

安部: 囲碁将棋さんの野音単独に参加させてもらったとき、「うわ、すっごい絶景やな」と思ったんですよ。ああいうことを、僕らでもやってみたいですね。

大波: 野音で3,000人くらいですよね。

2月18日(日)開催の『囲碁将棋 20th anniversary ZEKKEI MANZAI TOUR 日比谷野音』に、タモンズはゲスト出演した(「囲碁将棋 Official【公式】」のポストより)

安部: 僕はもう、グラフがずーっと一生こう(100に近い位置のまま推移)なってくれりゃそれで良かったりするんです。でも上を目指さなけりゃこうはなれないんで、SECONDも優勝せなあかんし、もし今年あかんかったとしても、来年また狙いにいかなあかんなと思いますね。

芸人人生をグラフで表すと、今が一番100に近い。「100に近いまま歩んでいくためには、もっと上を目指さなければならない」と安部

———ほかの多くの芸人さんとは、少し違った道のりを歩きそうですね。

大波: テレビにめっちゃ出てるのに、イベントをやっても数十人しか来てへんやんみたいな芸人をたくさん見て来たんです。なんでなのかずっと謎やったんですけど、人気と知名度の違いなんですよね。僕らは「タモンズにお金を払いたい」と思ってくれるような、人気を獲りに行きます。

安部: 深く愛してくれるお客さんと、いっぱい出会いたいです。


タモンズ PROFILE

吉本興業 所属

左:大波 康平
右:安部 浩章

★公式プロフィール:https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=2741
★公式YouTubeチャンネル:タモンズの漫才旅チャンネル〜47都道府県への道〜

★公式YouTubeチャンネル:タモンズ安部のオリックス応援チャンネル「オリの晩酌」

文・編集:堀越 愛
写真・サムネイル:ヘンミモリ