【『COCHO COCHO』伊集院光 収録直後インタビュー】いつでも必要とされたいし、面白いと思われたい。伊集院のコンテンツがあるから「明日も頑張ってみようか」と思われたい

8月28日(水)18時、YouTube チャンネル『COCHO COCHO』(制作:株式会社チャビー)で、伊集院光が出演した動画が公開された
『COCHO COCHO』は、「こどもと、元こどもだったすべての人の心をくすぐる」をコンセプトにしたYouTubeチャンネル。さまざまな企画にとりくむ、こどもたちの予期せぬひとことや不可思議なリアクションを届けている。

★YouTubeチャンネル『COCHO COCHO』はコチラから

YouTube チャンネル『COCHO COCHO』では、これまで「新しい法案を考える」「お相撲さんにインタビュー」「大人が食べてる“おつまみ”の味とは」など、様々なコンテンツを展開。テーマに合致したゲストを招く回もあり、こどもたちの新鮮な反応を引き出している。

8月28日(水)に公開された「こどもラジオ」回のゲストは、30年以上ラジオ業界の第一線を走り続ける伊集院光。伊集院は、先に収録がはじまったこどもたちの様子をスタジオで見学。こどもたちに「スペシャルゲストがきています。伊集院光さんです!」と呼びこまれ、こどもラジオに出演した。普段とは異なる環境で「ラジオ」コンテンツに触れた伊集院は、果たしてどんなことを思ったのだろうか。収録を経て感じた課題やラジオ業界の今について、話を聞いた。

こどもたちとの収録を経て気付いたこと

———こどもたちと一緒に収録をしてみて、いかがでしたか?

僕が普段やっている「生放送のラジオ」と「YouTube用ラジオ風コンテンツ」の違いを感じました。正直に言うと、僕が伝えたかったラジオの面白さは伝えきれていません。このYouTubeだと「映像のための撮りなおしをする」と言うんですね。でも僕がやっている生放送のラジオでは、どんなにしゃべりが下手くそだったとしても録りなおすことはできないししないんです。僕が思うに、あくまで僕の私見ですが、ラジオの大切なところは「てにをは」など技術的なところではなく、「そのときしゃべりたいことをしゃべる」こと。今回は本物のラジオというよりはYouTube用のコンテンツだということを理解していたら、こどもたちの良さをもっと引き出すやり方があったのでは?そのためにもっとスタッフと打ち合わせていれば良かった……と感じています。ただ今回の内容が良くないということではなくて、スタッフさんの思うものと僕の思っていたことが違っていたな、ということで、普段やっているラジオでも終わるたびにみんなで後悔と反省をして、次に向けて対策をするんです。収録に満足感を持って終わることはあまりありません。今回もそれと同様ですかね。

———今回の収録内ではラジオの面白さを伝えきれなかったということですが、本来はこどもたちにどんなことを伝えようと思っていたのでしょうか?

知らない人におしゃべりだけで「今自分がなにを思っているか」伝えるのはとても楽しいことで、それをより楽しくするためには「こういう風におしゃべりするといいですよ」「伝わりにくくても、伝えようとすることが面白いんですよ」……そんなことを伝えたいと思っていました。

———こどもたちがラジオに挑戦する姿を見て、なにか新しい発見はありましたか?

彼らなりに楽しくしゃべる工夫をしていて、それは自分にもフィードバックできるなと思いました。たとえば、大声を出すとか、タイトルコールをやたら長く伸ばしちゃう遊びとか。こどもたちはこういうことを心から楽しそうにやっていたけど、これってテクニックがついてくるとやめちゃうことなんですよね。「音が割れちゃうから大きすぎる声は出しちゃいけない」とか思っちゃう、本当は大声を出したっていいんです。楽しいからこそ音が割れるまでやっちゃうんだし、タイトルコールを長く伸ばしちゃうのも、それ自体が楽しいからやっていること。まあ録り直しを何度もしていたので、使われていたかどうかはわかりませんけど(苦笑)。僕はそれが純粋に楽しくて「ラジオはこういうものだ」と思い込んで自分がやらなくなっていたことに、彼らによって気付かされました。

「音声のみで伝える」ことへのこだわり

———今日参加したこどもたちは、ラジオの存在自体は知っていますが聞くことはしていません。今の時代において、ラジオが持つ可能性についてどう考えていますか?

“ながら”で聴けるラジオにはもっと可能性があると思います。この先もっと技術が発展すると、「サングラス型モニターに映ったドラマを見ながら、危険がないように歩けるナビ」が開発されたりすると思うんですよ。そうなってしまうと、今ラジオが持っているチャンスを逃すことになる。でも今現在でいうと映像の“ながら”はそこまできていないし、radikoをウンロードできるスマホを持っている人はかなりの人口になるので、ラジオを聞く機会を得られる人数は人類史上初くらいまで増えていると思います。そういう意味で、ラジオは今言い訳のできないところにいると思いますね。あとは、僕らがニーズに合った番組をつくれるかどうかだけ。それをすごく感じています。
ラジオは「斜陽ではない」と思っていますよ。広告ひとつとってみても、ラジオはテレビと比べて費用対効果がめちゃくちゃ高い。ここで投資をするのか安かろう悪かろうのコンテンツを増やしていくのか、それが分かれ目になるのではないでしょうか。まぁ、「ラジオ」の定義が難しいので「音声コンテンツ」みたいなくくりで考えたほうが良いのかもしれませんね。僕自身は、「ラジオ」というメディアにこだわっているわけではないんです。自分の得意なものはおしゃべりであり、それが合っているのは“音声のみ”のコンテンツであると考えています。今の時代だとそれが「ラジオ局から流れるラジオ」なんですが、そこだけやりたいわけではなく、いつでも必要とされたいし、面白いと思われたい。伊集院のコンテンツがあるから「明日も頑張ってみようか」と思われたい。これさえクリアできれば、これがいわゆる「ラジオ局で喋るラジオ」であることにはそれほどこだわっていないんです。

———ここ数年で配信アプリが増えたりYouTubeが一般的になったりして、誰でも音声配信ができる世の中になりました。長年パーソナリティをしていた伊集院さんから見て、そんな現状をどう思いますか?

ハードルが下がったことで、これまではしゃべる権利を与えられる前に削られてきたかもしれない、いわゆる“センス”みたいなものが活かされるようになったと思います。それはしゃべる側に限らず、コンテンツをつくる側も同じです。テレビ局で下積みをして怒鳴られながら身も心も削られていくのではなく、直感的なセンスを活かしてつくれるコンテンツが増えてきた。これらは、現状の良いところだと思います。
一方で、権利を得る過程で身につけていた技術が伴わないもったいなさも感じています。「コンテンツを自分でつくろうというやる気」・「たどりつけるセンス」・「先輩たちから技術やうまくやる方法を盗んでやろうという努力」。これら三拍子そろった人には適わないし、化け物みたいなヤツはそういうところから現れるんだろうなと思いますね。僕は昔、自分と友だちしか聞かないラジオを、自宅の風呂場で録っていたんですよ。それに比べると今はフィードバックも大きいし、良いですよね。

———自分たちだけしか聞かないラジオを録っていたことがあるんですね。

中学生のとき、カセットテープレコーダーに録音していました。ビデオを撮れる機材が身近にあれば、もっと壮大なテレビのようなものを撮りたかったのだと思います。今はスマホひとつあればテレビ的なものをつくれますよね。ネットもないから音声をテープで録って友達に聴かせるまでで止まってました。それを考えると、今も映像編集などの手間はそこそこ大変なので、YouTubeでもラジオコンテンツのほうが簡単に仕上げられるのかも。自分で「こんなに面白いラジオをやってるんですよ!」と配信をしている人たちは習うより慣れろで経験値も上がるし、そういった人たちを見つけようと思っているリスナーやディレクターにも届く。そういう人たちと現役で戦わないといけないと思うと、まあ大変ですね。簡単には負けませんけど(笑)

投稿者の経験をみんなに伝える手伝い

———伊集院さんが注目している若手のパーソナリティはいますか?

すでに出てきている人たちのなかには、特に注目しているパーソナリティはいないですね。認めたくないのかもしれませんね。でも、「この人に技術や企画力がついたらもっと面白くなりそう」という人はYouTube上にたくさん見かけます。僕は長くラジオをやっているからこそ、一般的な“ラジオのかたち”におさまっているものは構造式がある程度読めてしまうから、脅威も感じないしワクワクドキドキもしません。ある程度雑にやっているYouTubeのほうが、「しゃべり方おもしろいな」「着眼点がいいな」などと可能性を感じる機会は多いですね。最近新しい時間帯でラジオを始めたんですけど、今までの深夜番組に比べて投稿慣れしておらず文章も上手じゃないけど、とてつもなく惹かれるメールを書いてくる人がいるんです。そういうのを読むと、これまで能力の高い投稿を見続けてきたせいで「粗削りだけど内容が面白い」、なんとも言えないメールをキャッチする能力が鈍っていたかもしれないと思うことがあります。そういうのってメールを書く技術ではなく、この人自身がすごい経験をしているかどうかが大切なんですよね。このメールを読んで、文章に多少足りない部分があっても、間のあけ方やトーンを調整してみんなに通用する話にする手伝いをする。僕がこのメールの体験をしているわけではないけど、メールをくれた人の感情をみんなに共有してもらえてる。それに気づいたとき、なんだか気持ちが良いというか。

———これだけ長くラジオにかかわり続けても、発見があるんですね。

そうですね。「最初はわかっていたこと」が経験を積んだことでわからなくなっていることもあるので、今発見したのではなく拾い直しているというのもあります。でも少なくとも、ラジオを続けることで「俺にはやりたいことがあるんだ」というのを確認させてもらっています。

文, 編集, 撮影:堀越 愛