人見知り学部を卒業した内定者の話 若林正恭『ナナメの夕暮れ』

『ナナメの夕暮れ』(2018年/文藝春秋)は、オードリー・若林正恭によるエッセイ集。「生きてて全然楽しめない地獄」にいた筆者が、40歳の「おじさん」を手前にして感じた変化とは……。彼がかつて抱えていた「生き辛さ」の渦中に、今まさにいるという小池太郎さんが『ナナメの夕暮れ』を紹介します。

「ずっと、周りの目を気にしないで自分を貫ける人に憧れてきた」

オードリー・若林正恭著『ナナメの夕暮れ』まえがきの一文。続いて、「そういう人間になることを諦めた」という文が添えられる。

本書は、「考え過ぎ」である自分に劣等感を抱いていた青年が、「それこそが自分である」と考え過ぎを受け入れるまでを綴っている。

私自身、精神的にツラい時に周囲に相談すると、「考え過ぎじゃない?」と言われる。わかってる。忘れたり、別のことで紛らわせばいい。そこまで深く思考を巡らす必要はない。けど……考えてしまうんや!

筆者は本書より前に『社会人大学人見知り学部卒業見込み』というエッセイを出版している。彼は自他共に認める「人見知り」だそう。緊張し、思うように言葉が紡げない。つまり、他者が自分をどう思っているか?嫌われていないか?を「考え過ぎ」るからこそ、人見知りが生まれるのだ。

『社会人大学~』ではそんな自分への嫌気と、それを理解しない周囲への怒りが刻まれていたが、対して『ナナメの夕暮れ』はそれを受け入れ、それこそが自分であると締めくくる。

そんな彼の文章に、一抹の寂しさを抱いた読者は私だけではないはず。「成長しちゃった」という切なさ。“社会人大学人見知り学部”を卒業し、晴れて“一般社会”に内定を得てしまった。

“社会人大学人見知り学部”で留年を繰り返し、“一般社会”に内定をもらうどころか面接を受けることすら拒否している私にとって、「これが自分だ」と華々しい社会の階段を駆け上がる筆者の背中は、思わず目を逸らしたくなるほど眩しかった。

そうはいっても、舞台や画面に映る彼の瞳は、いまだに学部に戻りたがっているように見える。『ナナメの夕暮れ』からも、その様相が垣間見えるような気がする。

たまに人見知り学部に遊びにきてください!俯きながら待ってます。


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