〈GEININ DATABASE file.9 きつね日和〉僕らを求めてくれる人に感謝を返したい。挫折を経て出会った二人の軌跡【1万字インタビュー】

編集部が「次のスター」として注目するお笑い芸人に話を聞く連載『GEININ DATABASE』。芸歴や事務所に制限を設けず、今注目したい芸人を取り上げる企画である。

第9回に登場するのは、ビクターミュージックアーツ所属の漫才師・きつね日和

左:おいなり達也、右:松本昌大

きつね日和が結成したのは、2019年。ピン芸人として活動していたおいなり達也とコンビ解散直後の松本が出会い、コンビを結成。『M-1グランプリ2022』で三回戦、翌2023年は準々決勝に進出し、おいなり達也が「ダメだろー!」と突っ込む独特のネタで話題となった。また『ABCお笑いグランプリ2024』は準決勝に進出。着実に結果を残しはじめているコンビである。

きつね日和は、9月16日(月祝)に初単独ライブ『荼枳尼天』を開催予定。単独ライブを直前に控えた彼らに、お笑いのルーツや結成の背景、憧れる芸人など、様々な角度から話を聞いた。

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おいなり達也は大泉洋に憧れて芸人に

———芸人になったきっかけを教えてください。まず、おいなり達也さんからお願いします。

おいなり達也(以下、おいなり): 元々、僕はほかに夢を持っていたんですよ。獣医になりたいとか、警察官になりたいとか……でも様々な挫折を経て「ほかに好きなことはないかな」と探していたとき、「テレビが好きだな」と思って。北海道出身ということもあって、一番好きな番組が『水曜どうでしょう』だったんですね。大泉洋さんみたいに「しゃべりで面白おかしくできるような人になりたい」と思い、うっすらと「芸人になりたい」と思うようになりました。今でこそ大泉洋さんって俳優さんのイメージですけど、当時の僕にとっては芸人さんみたいな存在だったんですよ。

———そこから、どのように芸人デビューに向かっていったのでしょうか?

おいなり: 「お笑い芸人になりたいな」なんて思いを抱きはじめたのは、高校2年生のころでした。そんなとき、北海道にお笑いを学べる専門学校ができるというCMを見たんです。「芸人になるためには東京に行かなきゃいけないな、ハードル高いな」と思ってたんですが、北海道で学べるならそこに入っちゃおうと。高2でそこに入り、今とは違う相方とコンビを結成しました。そしたら、在学1年目でオスカープロモーションに合格したんです。卒業後は東京に行くことがそこで決まり、19歳でデビューし、今に至ります。

———専門学校在学中に事務所が決まったんですね!かなりエリートですね。

おいなり: エリートみたいな感じでスタートしたんですけど……まだ芽が出ず、11年目です。

———事務所に所属した後は、どんな芸人人生を歩んだのでしょうか?

おいなり: 専門学校を2年で卒業して、そのあと東京に出てきました。でも、当時の相方とは2年くらいで解散してしまったんですよ。というのも、元相方が段々東京に染まってしまって……クラブに行くようになり、最終的には渋谷のハロウィンに繰り出すようなタイプになり、酒に溺れネタ合わせに来ないようになり……。「もうこれ以上は組んでいられない」となって、解散しました。解散後も漫才をやりたかったんですけど、僕がコミュ障であんまり人と仲良くなれなくて……腹をくくって、4年くらいピンで活動しました。前の相方と2年、ピンで4年、今の相方の組んで5年で、計11年ですね。

———おいなりさんは、最初から漫才をやりたかったんですか?

おいなり: 本当はコントが好きだったんですけど、元相方は漫才が好きで。「俺のネタをとにかくやってくれれば良い」という相方だったので、「とりあえずやりましょう」という感じで漫才の道に……

———それで、やっているうちに「漫才楽しい」と思うように?

おいなり: そうですね…‥‥

松本昌大(以下、松本): 正直に言ったほうが良いよ。

おいなり: 実は、当時はあんまり「漫才楽しい」とは思ってませんでした。正直、ピンでコントをやってるほうが楽しいというか。当時は相方に全部合わせていたんで、自分らしいお笑いができていなくて。それでなぜ解散後に「漫才やりたい」と思ったかというと、専門学校時代をふくめて4年漫才をやったのでノウハウがあったのと、先輩芸人から「テンポが良いね」と褒めてもらったことがあって。「じゃあ向いてるのかな?」と思って、漫才をやりたいと考えていました。

仕事、彼女……すべてを捨て芸人になった松本

———松本さんが芸人を志したきっかけを教えてください。

松本: 僕は、とにかく子どものころからお笑いが大好きだったんですよ。親によると、幼稚園くらいから『笑点』を正座して観ていたらしいです。小学生時代は、親に隠れて夜に『爆笑オンエアバトル』を観てた記憶があります。こうやっていろんな番組を観ていたなかで、たまたま囲碁将棋さんの漫才を見る機会があって。そこから「漫才って面白い」と思うようになりました。そして、『めちゃイケ』とか『新しい波』シリーズとか……お笑い界を引っ張っている方々の番組を観て「芸人になりたい」と思うようになりました。学校ではお調子者みたいな感じで、休み時間に友だちと遊びで漫才やショートコントをやったりしていましたね。

———そこから、どんなふうにデビューに向かうのでしょうか?

松本: 紆余曲折があるんですが……まず、高校時代に進路希望調査で「NSC(吉本興業の養成所)」と書きました。でも親や先生から反対されて、大学に進むことになって。で、大学4年生のとき、同じ高校だったタカムラ君から「吉本に一緒に入らない?」と声をかけられたんです。でもその時点ですでに内定をもらっていたので、「もう少し早く言ってくれれば……」という感じで、新卒で成城石井というスーパーマーケットの社員になりました。そこから2年半働いて、最終的には副店長にまでなったんですよ。スーパーマーケットって、季節ごとにある程度やることが決まっていて、先輩たちが築いてきたマニュアルもあるんです。だから働きやすいんですが、僕の性格的にちょっと飽きを感じるようになって……
そんなタイミングで、またタカムラ君が現れるんです。タカムラ君は当時自動車のディーラーとして働いていたんですけど、「やっぱり芸人になりたい」と。それで、一緒にワタナベエンターテインメントの養成所オーディションを受け、合格しました。そして僕は会社を辞め、最後にもらったボーナスを養成所に振込んだんですよ。そこでタカムラ君に連絡すると「まだ払ってない」と言うんですよ。「払ってよ」と言ったら、「申し訳ないけど払えなくなった」と。よく聞いてみたら、タカムラ君は養成所代にあてるはずだったボーナスを、有馬記念にぶち込んでしまったらしく……「全部溶けてしまった」と言われました。で、タカムラ君は芸人になることを諦め、僕はひとりで養成所に入りました。

———それは、だいぶモチベーションが下がりそうですね……。

松本: いやー、笑っちゃいましたね……。でもモチベーションが下がるというよりは、僕的には「ひとりでもやってやるぞ」という気持ちでした。芸人になるのは自分で決めたことですしね。あと、実は「芸人になる」と決めた当時、僕には結婚を約束していた彼女がいたんです。結婚寸前で、家を買う話まで出ていたんですが、「芸人になりたい」と伝えたら「話が違う」と泣きはじめてしまって……。彼女はモデルという不安定な仕事をしていたこともあり、僕に稼いでほしかったみたいです。僕はお互いやりたいことを応援し合うのがベストだと思ってたのに、まさかここまで反対されるのかと……。それで、結婚寸前までいっていたのにお別れしたんです。会社を辞め、彼女とも別れ、僕はいろいろケジメをつけてきているわけです。「芸人になる」と自分で決めてそうしたので、ひとりで養成所に入ることに迷いはありませんでした。

———すごい覚悟ですね。

松本: 幸せの尺度って、自分のなかにあると思うんです。幸せかどうかって人に評価されるものではないから、自分の物差しで完結させたという感じですね。

———その後はどうなるのでしょうか?

松本: 養成所で組んだ相方と、在学中にM-1二回戦まで行きました。相方は元々吉本にいたヤツで、本当に熱い男だったんです。岡山県出身で、千鳥の大悟さんみたいな口調で「俺らはこれで売れるんじゃあ」みたいな感じ。めっちゃ酒が好きで、タバコも吸うし、“昔の芸人”っぽかったですね。ただ、在学中に少し結果を出せたのにもかかわらず、事務所に所属できなかったんですよ。夜中から朝まで一睡もせずネタ合わせしたりと頑張ってきたのに、「こんだけ努力しても認められないって面白い世界だな」というか……恨みを感じるくらいまでいきました。社会人のときは数字で結果を出せば評価されたけど、お笑いってそうじゃない。運命とか相性とかも大事な世界なんだなと思って、恨みましたね(笑)。もともと卑屈な人間だったし、「聞いてた話と違うぞ!」みたいな。事務所に所属できなかったことで相方は芸人を辞め、解散してしまいました。

「ダメだろー!」誕生の背景

———お二人が出会った経緯を教えてください。

おいなり: 僕がピン芸人になって4年ほど経ったとき、オスカープロモーションからお笑い部門が無くなることになったんです。ある日突然まったく芽が出ないまま放り出され、「どうしよう」と思っていろんな事務所に掛け合ったけど、どこにも所属できず……。当時は板前の格好をしてキャラ芸人みたいなことをしていたんですけど、それを見た作家さんから「今25歳くらいだよね?それ40歳越えてからやるネタだよ」と言われてしまったこともあります。で、コンビ時代を知っていたその作家さんに「君漫才うまいのになんでこんなことやってんの?今すぐ相方探したほうが良いよ」と言われるんですよ。そのタイミングで、親友に「うちのバイト先に芸人辞めそうな子がいるんだけど、1回会ってみない?」と言われ、会ったのが松本さんでした。

松本: 養成所時代の相方と解散した当時、僕は自営業の小さなハンバーガー屋さんでバイトしてたんですよ。成城石井からは「いつでも戻って来い」と言っていただいてたので、「もう戻るか」「いや、ここで辞めるのは嫌だ」とだいぶ悩んでて。そんなとき、同じバイト先の子に「俺、芸人辞めようと思ってんだよね」と言ったんです。そうしたら「僕の友達に“おいなり達也”ってやつがいて……」と。「めちゃめちゃくすぶってるけど、漫才が上手いんです。ずっとピンでやってるのもったいないし、松本さんと合うと思うので会ってみませんか?」と言われました。

おいなり: 僕らをつなげてくれたのが北海道で同じ養成所にいた子で、今は俳優をしています。一緒のタイミングで上京した親友です。

———おいなりさんは、当時から今のような見た目だったんですか?

松本: 今よりはちょっと髪のボリュームが少なくて、ここまでは出来上がってないです(笑)。でも、変なオーラが毛穴からあふれてるんですよ。養成所時代の相方は高橋一生さんみたいなイケメンだったし、僕の理想は囲碁将棋さんみたいなシュッとした漫才師。でも「それじゃ売れないかな」と考えてたときにコレが目の前にあらわれて、「この子を活かせば良いのか!」と。初めて会ったのは、新宿大ガード下にあるバーミヤンでしたね。

———紆余曲折あったと思いますが、2022年『M-1グランプリ』三回戦に進出して以降、2023年には準々決勝に進むなど躍進された印象があります。なにがきっかけで結果が出るようになったのでしょうか?

おいなり: 2022年頃は、自分たちの漫才の形が決まった時期ですね。それまではいろんな漫才に手を出してて。たとえば、僕がギャグをやってツッコんでもらうみたいな、流れ星☆さんみたいな漫才をやったり……。しばらくは「これが僕らの形だ」と思ってやってたけど、結局、流れ星☆さんのだいぶ劣化版なんですよ。

松本: 地下のお笑いライブではウケるし、バトルライブでは勝てていました。でも「これでテレビに出られるのか?」と。彼はどちらかというとコミュニケーション能力が低いし、楽屋でも暗いし、根暗なんですよ。だから、舞台上でギャガーとしてワーッとやってるのがしんどそうに見えて。

おいなり: 漫才ではギャガーになれるけど、平場は前に出れないんです。学生時代は隅っこで本を読んでるような陰キャだったので、それがずっと続いてる感じで。みんなの輪に入れなくて「この方向性は違うんじゃないか」と思っていました。

松本: 僕も「このままじゃ限界が来るぞ」と思ってました。それで別のネタを考えていたとき、できたのが「ダメだろー!」というフレーズを使ったネタです。このネタで、2022年M-1は三回戦まで行けたんですよ。

———「ダメだろー!」というネタは、どのように生まれたんですか?

松本: 当時、僕らが「絶対に新ネタをおろす」と決めていたバトルライブがあったんです。僕らが決めていたルールは、出番の3時間前に集まり、そこでつくったネタでバトルライブに出るということ。でも、あるときこの3時間でネタが完成しなかったんです。「あと出番まで30分しかない、どうすりゃ良いんだ」……と僕がめっちゃノートに向き合っていたら、相方が悩んでるフリをしながらウトウトしてたんです。「この野郎」と思って、コーヒーをストローで吸い取り、顔にバッとかけたんですよ。そしたら「ダメだろー!」と近距離で詰められて(笑)。それがめちゃくちゃ面白くてゲラゲラ笑って、悪ノリでメガネを奪い取ってコーヒーに漬けたら「ダメだろって言ってんだろー!なにやってんだ君はー!」とか言いはじめて(笑)。で、「僕が舞台上でダメなことをする」、そこにアドリブで「ダメだろー!と突っ込む」ことだけ決めてライブに出たら、優勝したんです。

———それはすごいですね!

おいなり: 今までと違う笑いが起きました。ギャグ漫才をやっていたときはギャグをやったらウケるという感じだったけど、そのときは「ダメだろー!」と突っ込んだときに爆発して、そのあともずっとウケてるみたいな状態だったんですよ。今までと感覚が違う、いけるかも……ということになり、「ダメだろー!」を鍛えることにしました。

きつね日和の究極の目標

———「この人に褒められたい、認められたい」と思う芸人はいますか?

松本: 僕は、最初に憧れた芸人でもある囲碁将棋さんですね。相方と初めて会ったとき、実は囲碁将棋さんの単独ライブチケットを2枚持っていて「一緒に行きませんか」と誘っているんです。なぜチケットを持っていたかというと……前の相方と解散して「辞めよう」と思っていたとき、「最後に大好きな囲碁将棋さんの漫才を見て踏ん切りをつけよう」とルミネtheよしもとのライブに行ったんですね。そのライブ終わり、急遽、囲碁将棋さんが「1か月後の単独ライブチケットを手売りします」ということになって。そこで初めて囲碁将棋さんに対面して、僕は「囲碁将棋さんに憧れて芸人をはじめました」と言ったんです。そうしたら「そうなの!?」と喜んでくれて、文田さんがいろいろと掘り下げてくれたんです。「でも結果が出なくて、今日は踏ん切りをつけるために……」と言うと、「いつか一緒の舞台に立てると良いね」と言ってくださって。辞めるつもりで来ていたのに、「辞める理由なくなったよね」と言われたんです。
で、彼(おいなり)と会ったとき「実は大好きな漫才師がいまして、チケット持ってるので一緒に行ってください」と誘い、単独ライブを二人で見に行きました。そのあと「僕はあの方々に憧れていて、ああなりたいので一緒に漫才やってくれませんか?」と言って、「わかりました、一緒に頑張りましょう」……というストーリーです。

———素敵な話ですね!

松本: 2023年、M-1準々決勝の舞台がルミネtheよしもとだったんですよ。「同じ舞台に立てると良いね」と言ってくれたあの舞台に立てて、同じライブに出たわけじゃないですけど、なんだかスタートラインに立てた気持ちになりました。

———おいなりさんは、「この人に褒められたい、認められたい」という方はいますか?

おいなり: 大泉洋さんですね。芸人さんは全員尊敬しているし憧れていますけど、「この人!」というのはあんまりなくて。でもこの世界に憧れた入り口が大泉洋さんなので、いつか漫才を見ていただけたら本望です。

———直近で達成したい目標はなんですか?

松本: 今年のM-1で準決勝に行きたいですね。昨年準々決勝で終わってしまったので、今年は1つ上にいきたいです。

———「決勝に立ちたい」ではなく、1つずつ登っていきたいという感じなんですね。

松本: お笑いが好きだからこそ、大口は叩けないですね。M-1はさすがにそんなに甘くないので……。決勝に行くためには、まだ技術が足りないと思います。『ABCお笑いグランプリ』で準決勝に行ったとき、僕ら以外はみんなテレビに出ているような人たちだったんですよ。彼らの「俺たち面白いぜ」というオーラ、自信、台本の強さ……すべてにおいて負けているのを感じました。経験値も圧倒的に足りていないと思います。

———では、「これができたら芸人を辞めて良い!」と思うくらいの究極の目標はなんですか?

松本: 辞めたくないです(笑)。

おいなり: 辞めたくはないですけども(笑)、最終的な目標はあります。『水曜どうでしょう』が好きではじめたのもあるし、地元がすごく大好きなので、北海道でレギュラー番組をもてたらゴールに近いのではと思いますね。東京でも仕事しつつ、地元でも愛される芸人になりたいです。

松本: 難しい質問ですね……板の上にはずっと立っていたいですし……M-1決勝ですかね?それが目標ですね。

———「M-1優勝」ではなく、究極の目標だったとしても「決勝」ですか?

松本: リスペクトが強すぎるからこそ、「優勝」なんて軽々しく言えないというのはありますね。

芸人前夜のきつね日和へ

———芸人になる前夜の自分にひとこと伝えるとしたら、なにを言いますか?

松本: 「今よりも『生きてる!』って感じるよ」と言います。社会人時代に比べて、今はキツすぎるし人生しんどいですけど、生きてます。サラリーマンも生きてはいるけど、自分のためではなく「子どものため」「奥さんのため」「会社のため」……という部分が強いと思うんですよ。でも芸人をしている今、僕は良い意味でも悪い意味でも「自分の人生」を生きてます。自分の目標達成のために全部賭けてるからこそ「生きてる」って感じしますし、楽しいです。しんどいですけどね(笑)。

———どんなときに、一番「生きてる」と思いますか?

松本: スベッたときとか、挫折したときですかね。「ここからまたネタをつくり直して……」と考えていると、燃えます。意外と、一番燃えるのはスベったときかもしれません。ウケたときは、どちらかと言うと「間違ってなかったんだ」と安心します。あと「これはいけたぞ!」と思ったオーディションに落ちたときも「生きてる」と思います(笑)。「マジで見とけよ」となりますね。

———おいなりさんはいかがですか?

おいなり: 僕は「けっこう見てくれてる人がいるよ、しかも求めてくれているよ。安心して芸人になりな」と伝えたいです。芸人って明るいところしか見せちゃいけないと思って言ってこなかったんですけど……僕はクラスの隅にいる目立たない子で、実はちょっといじめられていたこともあるんです。クラスで目立たないだけじゃなく親戚のなかでも存在が薄くて、おばあちゃんにすら名前を間違えられるくらいだったんですよ。自分の存在意義を感じられない、でも存在感を強くしたい……それで芸人を志したみたいなところもあるんです。だから、あのころの自分に伝えるなら「求めてもらえるようになるよ、名前も覚えてもらえるようになるよ」と言いたいですね。

感謝の想いを伝える単独ライブ

———9月16日(月祝)に初単独ライブ『荼枳尼天』を開催するそうですね。なぜ単独ライブを開催することにしたのでしょうか?

松本: より上のステージを目指すためです。2023年にM-1準々決勝に行き「もっと上に行かなきゃいけない」と思ったのもありますし、自分たちがステップアップするきっかけをつくるために負荷をかけようと。そのために開催することに決めました。本当はテレビに出れるくらい売れて簡単に集客できるようになってからやりたかったんですけど、そこまで待ってたら間に合わないなと。

———どんな単独ライブになりそうですか?

松本: 今までの漫才をすべてぶち込みます。あと裏コンセプトとして、感謝の気持ちを伝えたいと思っています。誰からも求められていなかった僕らがここまでやってこれたのは皆さんのおかげなので、その感謝を伝えたいと思って。普段から、彼がつくったステッカーをお客さんにお渡ししているんですよ。単独ライブでは、ステッカーを持ってきてくれた方に無料でくじを引いていただく予定です。ネタ以外でも楽しい気持ちになっていただけたらなと思って、エンタメ感を仕掛けていきたいと考えています。

単独ライブのポストカードと、きつね日和のステッカー。ステッカーはおいなり達也がデザイン

———応援してくれる方へのファンサービスも重視しているんですね。ファンサービスを重視しない芸人も多いなか、なぜそこにこだわるのでしょうか?

松本: 僕はアイドルオタクなので、ファン心理がわかるんですよ。ファンを悲しませたくないとか、ファンだったらこうしてもらいたいだろうなとか、けっこう考えてます。

おいなり: 僕らのことを「見たい」と思ってくれている方には、感謝したいんです。4年間ピン芸人をしていたとき、ずっとお客さんが0人だったんですよ。アンケートでも「今すぐ芸人やめろ」と書かれたりしていて……その当時にくらべると、今では毎回来てくれるようなファンの方もいるんです。だから、前は成城石井でチョコを買って、応援してくれる方にお渡ししていたんですよ。それが今はステッカーに変わっています。最初のころからずっと、「感謝の気持ちは忘れずに」と思っています。

松本: 昔はたくさんチョコあげてましたね(笑)。コンビを組んでから初めてファンができたみたいです。ライブのあと、お客さんに「おもしろかったです」とか言っていただくと、本当にうれしそうにチョコを渡してました。「松本さんが元々成城石井で働いてまして、そこのチョコレートです」とか言ってたの覚えてます。俺が成城石井の説明するのはわかるけど……(笑)。

———なぜ会場に座・高円寺2を選んだんですか?

松本: 300人キャパということもあり、僕らにとって登竜門的な位置づけの会場だからですね。けっこう、売れる前の芸人さんが単独ライブをやっているんですよ。や団さんが『キングオブコント』ファイナリストになる前にもここで単独をやったらしく、そのときは100~150人くらいしか集まらなかったそうなんですね。でもファイナリストになってからは即完・満席だったらしくて。縁起が良いので、僕らもひとつ上のステージに上がるためにここが良いと思いました。50人キャパの会場を埋めたところでなにも変わらないと思ったので、ギリギリいけなさそうでいけそうなラインとしてここを選びました。

———ライブタイトルの『荼枳尼天』の由来はなんですか?

おいなり: 荼枳尼天は、稲荷神社に祀られている神様の名前です。僕が「おいなり達也」でコンビ名が「きつね日和」なので、なにかキツネ要素があったほうが良いかなと。

松本: 荼枳尼天は、商売繁盛の神様なんですよ。僕らも「商売繁盛したい」というのもかかっています。

———最後に、読者の皆さんに向けてメッセージをお願いします。

松本: 単独ライブでは、今までのベストアルバムのような面白いネタをやろうと思っています。演出的にも、今まで芸人さんがやってこなかったようなことをやる予定です。お笑いをあんまり見ない方にも楽しんでいただけるようなエンタメ性を意識しているので、楽しみにしていてほしいです!

おいなり: 来て損がないのは当たり前で、僕らがここからどうなっていくのかも是非見てほしいです。芸人のターニングポイントと言われる30歳の年でもありますし、僕らの変わり目を見てほしい。あと、今回はきつね日和にとって“再スタート”みたいな位置づけの単独ライブになると思います。ここで観ていただけたら古参になれるよ!……じゃないですけど、売れる前のきつね日和を是非見ていただきたいですね。

松本: 30歳って、普通は結婚したり子どもが生まれたり家を建てたり……という年齢ですよね。でも僕らは別軸の30歳を歩んでいるので、それを見て勇気を持ってほしい。というか、「こういうヤツらもいるぞ」と思ってほしいです。お金ではないなにかを追っている僕らの姿を見て、なにか感じていただけたらと思いますね。

取材:福永
文・写真・編集:堀越愛
協力:武山

PROFILE

きつね日和

左:おいなり達也
右:松本 昌大

★公式プロフィール:https://www.victormusicarts.jp/artists/comedian/IYs8N
★公式YouTubeチャンネル『きつね日和チャンネル』:https://www.youtube.com/@kitsunebiyori-ch