ヤーレンズ・出井隼之介さんが物事の良し悪しを綴る連載『可否伝』。出井さんセレクトの「今月のコーヒー」情報とともに、心が揺れた“良し悪し”を語ります。

8月の可否
つい最近、ネタで使うために、今年95歳になる人は何年生まれなのか調べた。答えは昭和6年。もうなかなか大正生まれっていないんだな、とそこで気づいた。そういえば今年は「昭和100年」だ。
ちなみに僕も昭和62年生まれなので、長生きすれば「えっ、昭和生まれなんですか!?」と驚かれるレア老人になれそうだ。
僕のおじいちゃんは大正生まれだった。戦時中は兵隊で、その頃の写真が家に飾ってあった。
家から少し離れた海沿いの坂道を歩くと、「ここを大砲引っ張って登るのが大変だった」と言っていたし、「さっさと降伏して根性が無い」という理由でイタリアが嫌いだった。
それが僕にとって、戦争とのいちばん近い距離だった。どんどん時は流れ、戦争を自分の記憶として語れる人は、そのうちいなくなる。そうなれば僕らは、戦争との距離を測る物差しを一つ失う。
教科書で習う戦争と、体験した人の口から聞く戦争は随分と表情が違う。そう感じたのは、朝のラジオ『伊集院光とらじおと』のレポーターをしていた頃だった。
番組内に人生の先輩方のお話を集めるコーナーがあり、実際に老人ホームやリスナーの方のお宅などを訪問してお話を伺ったのだが、まあ皆さん戦争の頃の記憶がとにかく鮮明で驚かされた。
「食べるものがなくて芋を食べていた」と「玉音放送を聞いた」という記憶は共通していたが、それ以外はまるで違った。一人一人、それぞれの戦争がそこにあった。
出港に間に合わず、乗り遅れた船が後に爆撃を受けて沈没したという人、友達と線路沿いに歩いていたら、飛んできた戦闘機から機銃掃射に遭ったが間一髪逃れた人、駅前の地面にチャーチルとルーズベルトの肖像画が描いてあり、毎日それを踏みに行っていた人…
中でも印象的だったのが、「お父さんにおへそが2つあった」というお婆さんの話だ。
小さい頃、お父さんにはおへそが2つあっておかしいなと思っていたが、それは戦地に赴いた際にアメリカ軍に撃たれた時の傷だと、のちに知った。
やがて小学生になったお婆さんは、学校で「“天皇陛下万歳”なんて言って死んでいった人はいない。みんな“お母さん”と言って死んだんだ」と教わる。
しかし、家に帰ってお父さんに「お父さん、お腹撃たれたときなんて言った?」と尋ねるとお父さんは「そりゃあお前“天皇陛下万歳”だろ」と答えた。
学校で習ったことと違うと困惑していると、お父さんはこう続けた。「みんな色んな思いで戦争に行ったけど、俺はお前たちの未来のために戦争に行ったんだ。“天皇陛下万歳”ってのは色んな意味が込められた一つの合言葉だったんだ」
ちなみにそのお父さんは、偽情報の書かれたビラを敵陣近くに撒きに行く任務の途中で居眠りしてしまい、起きてふらっと立ち上がったら見つかって撃たれたのだそうだ。帰還してからは、よくその傷跡に絵を描いて腹踊りで子供たちを笑わせていたらしい。
戦争は過去のものでなく、むしろひたひたと足音が近づいているように感じる。平成以降に生まれた人の、戦争との距離はどんなもんだろうか?
歴史の授業で大まかな流れは学べる。しかし、歴史は近くで見れば無数の人々の、無数の断片からできている。
手の届くうちに、その断片をできるだけ回収して語り継がねばならない。戦争との距離を見誤って、取り返しのつかないことになってはいけないのだ。
これ、特におしゃべりを生業にしてる人がやるべきでは?芸人さんどうですか?僕はおしゃべりそんなですけど、手伝いたいです。
~8月の可否~
可→一人ひとりの戦争を語り継ぐ
否→戦争との距離を見誤る
今月のコーヒー【AKITO COFFEE (山梨県甲府市)】
甲府と言えばの名店。

武田信玄に負けず劣らず全国のコーヒー好きに名が轟いている。やはり美味かった。
PROFILE

ヤーレンズ・出井隼之介
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文:ヤーレンズ・出井隼之介
編集:堀越 愛
写真&サムネイル:ヘンミモリ



