「お笑いサークル」を通じ、別大学でありながら親交があったさすらいラビーの二人。東京の若手ライブを率いる存在である二人のお話を、前編・後編に渡りお送りします。前編では、お笑いを始めたきっかけやコンビ結成の経緯など、過去のお話を聞きました。
「暗い僕でもやって良い」大学お笑いとの出会い
―お二人は、大学でお笑いサークルに入っていたそうですね。お笑いをやろうと思ったきっかけはなんですか?
宇野 慎太郎(以下、宇野): 中学の頃、お笑いブーム全盛期だったんですよ。『M-1グランプリ』や『笑いの金メダル』を観て、「芸人ってかっこいいな」と思って。高校時代は、休み時間に1人でネタ書いたり深夜ラジオ聴いたり……いわゆる“お笑いが好きな内気な少年”でした。大学に進学したらお笑いサークルがあったんで入った、っていうのがきっかけですね。
―宇野さんは、高校時代はお母さんに心配されるくらい暗かったそうですね。
宇野: 暗かったですね。「学校が楽しい」って言ったらお母さんが泣いてしまったくらい、心配されてました。友達も本当にほとんどいなくて……でもやっぱりお笑いが好きで、サークルに入ってやっと仲間ができたって感じでしたね。
中田 和伸(以下、中田): 良かったよね。
宇野: 良かったって何だよ(笑)。お前、親じゃないだろ。でもとにかく暗かったですね。大学に入るまでは、すごい気持ち悪い男子高校生でした。
―中田さんはどんなきっかけでお笑いをはじめたんですか?
中田: 僕もめちゃめちゃお笑いが好きで、『M-1グランプリ』や『爆笑オンエアバトル』を観てました。入り口は一緒ですね。小中学校の頃は芸人さんのマネをしてクラスのみんなに見てもらうとか、結構明るいほうでしたね。走るのがすごく遅くて、「これは正攻法ではモテないぞ」と自覚し始めて。幸い、面白いことを言えば笑ってくれるぞということに気付いたんで、そこからすごいお調子者ルートに、という感じです。で、大学に入って「お笑いやりたい」ということでサークルに入りました。
―お調子者ということで、なんとなく中田さんはお笑いの道に進むイメージがつきます。でも、お笑いって前に出るだけではなく裏方になるという道もありますよね。暗かったにも関わらず、宇野さんはなぜ自分が出る側になろうと思えたんでしょうか?
宇野: 僕、青学(青山学院大学)の「ナショグルお笑い愛好会」っていうサークルに入ってたんですけど、新歓ライブを観に行ったらみんなめっちゃ顔が暗かったんですよ。暗い人が前に出てきてちょっと面白いことやって、お客さんが笑ってるみたいな感じ。それで「暗い僕でもやっていいのかな」と思えたんですよね。僕が好きなことをやって良い場所なんだなと。
―宇野さんは青山学院大学、中田さんは一橋大学のご出身ですよね。大学が違う二人が組んだのは、どんな経緯があったんですか?
宇野: 決勝に残るとプロへの道が見えるという大会があって、僕らの世代は「プロになりたいならそこに選ばれよう」という気持ちがすごく強かったんです。でもそれぞれ予選で落ちちゃって、すごくムカついて……「なんで落ちなきゃなんないんだ」と。当時のお互いの相方も「それならもう就職するわ」みたいな雰囲気で。「でもやっぱやりたいよなぁ、俺らいけるよなぁ」って、(中田と)Skypeで話したんですよ。
中田: そうですね。その大会の結果発表の日にSkype通話して、「おかしいよなぁ」って。その大会のタイトルが『わらいを愛する学生芸人No.1決定戦』だったんで、「いや俺らの方が愛してるだろ」と。
宇野: (審査は)愛じゃなく面白さでやってるんだけどね。
中田: なんでだよ、3年生の俺らが1年生より愛が小さいわけないだろっていう。
宇野: 愛で言えばね(笑)。まぁ実際そうですね。もしどちらかが決勝に残ってたら組んでないですし、お互い予選で落ちたっていうのはでかいですね。
中田: 僕らの1個上に真空ジェシカの二人がいて、先駆けて“大学を跨いでコンビを組んで芸人の道に進む”ことをしてて。「そういうのもありなんだ、じゃあ俺らも」と。
就職もできるけど、あえて「芸人になる」と言いたかった
―まわりは就職する方が多かったと思います。その中で芸人の道を選ぶことに、迷いはなかったんでしょうか?
宇野: 迷いはありました。僕は(双子の)弟がいて、そっちは毎週説明会に行ってるのに「慎太郎は家でずっとテレビ観てるぞ」と家でもおかしな感じになってきて。なので一社受けては一社落ちるという感じでうっすらと就活みたいなことはやってました。でも同時に「プロになりたい」という気持ちが膨らんでいったんですよね。絶対に親に反対されると分かってたんで、「芸人になる」と伝える勇気が出なかったんですよ。時間稼ぎみたいな感じで就活してました。
中田: 就活ごっこだな、お前のやっていたのは。
宇野: ほんとにそう。
中田: 僕は、幸い1社内定いただいたんです。でも気持ち的には芸人になりたかったんで、(宇野に)「プロいこう」と誘うんですけど「中田だけ内定ある状態ずるいよ。ちょっと待ってくれ、僕も1回落ち着きたいから」と。でも一社受けて一社落ちるを繰り返すから、2週間ごとに結果が更新されるのを待たなきゃいけない。
宇野: お互い内定がある状態で「僕ら就職できます。でもそんなことよりお笑いがやりたいんです」って言える方が説得力あるかなって思ったんですよ。親に対して。
―あえて「芸人になる道」を選ぶということですね。
宇野: 「お前、就職できないからお笑いやるんだろ」って思われたくないというか。就職することもできるけど、それでも「お笑いがやりたい」って言いたかったんですけどね。
中田: 内定先との面談で、社員さんに「君お笑いやってるんだね。僕もお笑いが好きで、特にZAZYって芸人が好きなんだよ」と言われたことがあって。今でもZAZYさんと会う度に「内定蹴ったな、申し訳ないことをしたなぁ」と思っちゃってネタが入ってこないです。
宇野: お前だけだよ、そんなやつは。
中田: 僕は、一橋に強い意志があって入ったわけじゃないんですよ。たまたま入れたというか、たまたま入れてしまう学力が備わってしまったという感じなんですけど。
宇野: 嫌な言い方するな、お前は。全員必死で入ったんだよ(笑)。
中田: だから、入学してから周りとの意識のギャップを感じて。みんな1年生のときからインターンに行ったり投資サークルに入ったり。
宇野: 投資サークル?
中田: そう。大学生なのに。みんながどんどん企業戦士として養成されていく中、僕はお笑いサークルでネタばかり作ってる。普通に就職して10年後にみんなと会っても、えげつない差が開いちゃってるんじゃないかとコンプレックスが膨らんだんですよね。それなら、好きで得意だと思えるお笑いを突き詰めたほうが「同じレベルで喋れるんじゃないか」という感覚があって。それもあって、お笑いに進むしかないという気持ちができあがった感じです。
太田プロを選んだ理由
―芸人になるとき、親からの反対は無かったんですか?
中田: 大反対です。母は泣いちゃって、炊飯器を投げてきました。炊飯器ごとじゃないですよ、中の釜の部分ですよ。
宇野: フォローになってないよ。
中田: 最終的には納得してくれたんですけど、日々迷惑をかけてる感はずっとぬぐえなくて、気付いたら気まずくなってて……。なにかで優勝したら、その翌日から本当の気持ちで「ありがとう」が言えるかもしれない。その日を夢見て、って感じですね。
宇野: 来ると良いなぁ。
―大学卒業後はタイズブリックに2年程所属、その後フリーになって、太田プロに入ったんですね。なぜ太田プロを選んだんですか?
宇野: 前の事務所を離れることが決まって、いろんなライブを観に行ったり先輩芸人さんに話を聞いたりしてたんですよ。ギャラがどうとか、先輩付き合いがどうとか。いろんな人に聞く中で、太田プロの芸人さんはプラスのことしか言わなかったんですよね。
中田: 自分の事務所の文句を言うって結構“あるある”なんですけど、太田の方からはそんなに聞かない。
宇野: ちょうど太田プロの養成所に通わないかという話をいただいたこともあって、「じゃあ行ってみようか」と。太田の先輩からも「うちは本当に良いところで、誰も嫌な人いないよ」と言われて、グッときました。
<さすらいラビー|プロフィール>
2014年4月1日結成。太田プロ所属。
左:宇野 慎太郎(うの しんたろう)
1991年12月17日生まれ。A型。159cm/50kg。東京都小平市出身。青山学院大学理工学部卒。趣味は映画鑑賞・ギター。特技はトランプ手品、なぞなぞ、数独。
右:中田 和伸(なかだ かずのぶ)
1991年9月9日生まれ。A型。185cm/68kg。東京都文京区出身。一橋大学商学部卒。趣味はバスケットボール。特技は塾講師(歴4年)、漢字(漢検準1級)。
★公式サイト:https://www.ohtapro.co.jp/talent/sasurairaby.html
★公式YouTubeはコチラ
INFORMATION
PERFORMERS
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宇野 慎太郎(うの しんたろう)/さすらいラビー
太田プロ所属
Twitter:@unomen
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中田 和伸(なかだ かずのぶ)/さすらいラビー
太田プロ所属
Twitter:@nkD99
note:https://note.com/nkd99