2025.10.11
【『芸人年表』vol.3 ~鬼ヶ島~】長い低迷期を乗り越え、2年連続単独ライブに挑む!50手前で身体はボロボロ、でも「お客さんの前でネタをするのが楽しい」《単独ライブ『48歳の文化祭』直前インタビュー》
芸人の歴史を深掘りし、年表とグラフをもとに話を聞くインタビュー連載『芸人年表』。連載第3回に登場するのは、プロダクション人力舎所属の鬼ヶ島だ。

鬼ヶ島の歴史は2004年からはじまる。メンバーの入れ替わりを経て、2007年から野田・おおかわら・和田の現体制に。初期のキングオブコントで結果を残し、一躍メディアに出るチャンスをつかむも、テレビの世界にはなかなか適応できず……それから、長い低迷期が続いた。

しかし、2024年に10年ぶりの単独ライブ『47歳の転校生』を開催。また、今年11月21~23日には2年連続となる単独ライブ『48歳の文化祭』を開催予定。精力的に活動しているように見えるが、彼らはこれまでなにを思い、どんな葛藤を抱えながら歩んできたのだろうか。自身の手で芸人人生をグラフにしてもらい、話を聞いた。
年表&それぞれの芸歴グラフ




スタートダッシュ~新・鬼ヶ島

———野田さんのグラフを見ると、鬼ヶ島を組んだ2004年は高いところからスタートしていますね。
野田勉(以下、野田): 結成時から、スタートダッシュは完璧だったと思います。おおかわらと組んで「もうひとりほしい」というので、僕が全然知らない素人の浅沼(達朗)が加わりました。ニッポン放送やめて、芸人になったやつなんですけど。
おおかわら: 「素人」ってやめてもらえます?
野田: 頭丸めましょうか?
アイアム和田(以下、和田): やめなさい。
野田: 浅沼を入れて初めてネタをやったときにドカンとウケがきて。最初のネタが衝撃的すぎて、芸人の間でも「なんだ、あいつら!?」と、鳴り物入りでデビューしました。スタートダッシュは良かったんですけど、徐々にどうして良いかわからないようになって……ってところですね。

———おおかわらさんの2004年は、少し低いところからのスタートですね。
おおかわら: 僕は前のコンビを解散して、やりたいことがやれていなくて、1年近く完全なヒモ生活を送っていました。当時の彼女がOLで、寝るまで彼女の手を握ってあげて、寝たら深夜に真っ暗ななかパワプロをやる……という生活。起きたら枕元に2000円置いてあるので、それをつかってすごすという日々。今考えてもどうしようもない時間だったけど、野田と組もうとなって、そこからは楽しくなりましたね。
———一方で、和田さんは2007年に加入しましたが、2004年から2006年はなにをされている時期でしたか?
和田: 2003年くらいにコンビを組んでいて、メシ食えるくらいにはなっていたんですけど、仲悪すぎて解散しました。そこからコンビを3つ。ピンでもやって、全部大失敗して……という時期ですね。僕もヒモでしたから、芸人としては収入がほぼゼロでした。

———またグラフに目を移すと、野田さんは最初高かったところからどんどんグラフが下がっていますね。
野田: 浅沼が「辞める」となって、2007年に仲の良かった和田が入ってきたんですけど、1回目の単独ライブがあんまりウケなくて。『ファンタジーゾーン』(2009年5月10日開催)のとき。
おおかわら: あー。
野田: 舞台裏で「あんまりウケてないな」みたいな話をした気がします。
おおかわら: いとうせいこうさんが2004年の時点で異常に僕らを買ってくれて。イベント呼んでくれたり、「なんかやろうよ」って言ってくれるくらい。でも、浅沼が抜けて和田が入るってなったとき「なんでこんなやつ入れたんだ」って目の前で言われました(笑)。
———メンバーが変わることに対して、どう思っていたのでしょうか?
おおかわら: 浅沼は、三人のなかではボロボロにいじられるタイプだったんですよ。(バナナマン)設楽さんにパンツをビリビリにされたり(笑)。
野田: なんか“持ってた”んですよね。
おおかわら: 和田が入ってきたことによって、前よりちょっとポップ感が出たというか。単独ライブは別として、ライブでウケはじめたんですよね。僕ら的には良かったんじゃないかなと思います。

———浅沼さんと和田さんでは、キャラクターが違ったんですね。
おおかわら: 浅沼くんはニッポン放送で社会人をやっていたので、僕らも「面白くしてあげたい」という気持ちがあって。新幹線の移動のときに、絶対にツッコまれない程度の化粧をしてすごすとか……結果的に辞めちゃいました。
———和田さんからすると、途中から入る怖さがありますよね。
和田: 悩みましたけどね。しかも、浅沼くんが抜けて僕が入るとなったら、浅沼くんが「やっぱり辞めたくない」って言い出して。僕はコンビを解散して鬼ヶ島に入ろうとしてるのに、二人は浅沼くんに対して「わかった。もう一回やろう」って。僕はひとりになって、二人のこと大嫌いになりました。
おおかわら: 泣いてたからね。かわいそう。

———2008年にキングオブコントがはじまったときは、どんな思いを抱えていたんでしょうか?
野田: 和田が加入して徐々にライブでウケるようになってきて、芸人も袖で見るくらい「面白い」と言われていました。そんなときにキングオブコントがはじまり、「目指すべきところはここだ」と。そこを目標にネタに取り組んでいましたね。
おおかわら: 「ついに来た」みたいのはありましたね。
野田: 試合に出るみたいな感じで楽しかったです。
キングオブコント決勝進出とメディアの難しさ

———野田さんが下がり調子だった一方、おおかわらさんのグラフを見ると、結成以降長い期間上がり続けていますね。
おおかわら: この時期は本当に楽しかったですね。当時はあんまりいないちょっと特殊なネタをしていたので、満足できるウケ方をしていました。

———和田さんのグラフを見ても、おおかわらさん同様に上がっています。
和田: この時期はライブの動員数も増えてきて、そんなに悪いこともなく。その前が辛かったので、それに比べたら楽しい毎日でしたね。
おおかわら: 「売れるんじゃないか」と思っていました。
野田: ネタがすごいウケていたんですよ。地響きが鳴るくらい。
おおかわら: ネタもそうですし、トークや企画で野田くんが噛むたびに大爆笑が起きて。
野田: 今となっては、「噛めばウケる」と洗脳されたので恨んでいます(笑)。
———2013年にキングオブコント準優勝を果たしていますが、そこに至るまでの野田さんのグラフは上下が激しいですね。
野田: 良いネタがぽんぽんできて、楽しかった時期ですね。ちゃんと評価してもらえてうれしかったです。でもいざテレビってなると、噛んだだけで笑ってくれるお客さんがいなくなって、僕が噛んでも全然笑わない。そこで壁にぶちあたって、お笑いイップスになり、自分はどうすべきなのかと悩みました。

———グラフで一番上の時期はテレビに出ているときなんですね。
野田: 出られてはいたんですけど、バッターボックスに立っても全然打てなかった。ホームラン狙って三振だったらいいんですけど、ポテンヒットを打とうとして空振りだったり。うまいこといかなかったです。
おおかわら: くりぃむしちゅーの上田晋也さんと飲む機会があって。「お前の相方、いかにもメジャーリーガーみたいにホームランか三振かという雰囲気出しといて、ライト前ヒット打つよな」と言われて。おっしゃるとおりだなと。
野田: (笑)。ビビっちゃってそういう感じでしたね。
———おおかわらさんとしては当時どういった思いだったんですか?
おおかわら: 当時は特に、「テレビで活躍しないとうまくいっていない」という雰囲気があって。だから、そっちを考えないといけないんじゃないかと。「バラエティ番組に対応できないといけない」と、不安を抱えながらライブに出ていましたね。
———平場の出方について、三人で話したりしたことはありましたか?
おおかわら: 三人でテレビ番組に出ると、台本に「野田:一言」みたいのがあるので、シンプルに「野田がもっと面白ければな」と思っていました。
野田: おいやめろ(笑)。言葉を選べ。たしかに、ハプニング待ちというかね。
おおかわら: 自らボケる感じではなかったので、そこが苦戦しているなと。

———和田さんとしても、テレビは難しいという感じだったんでしょうか?
和田: キングオブコントで初めて決勝へ行かせていただいたのが、2011年。そこからは、やっぱり仕事も相当増えました。個人的に嬉しかったのが、ずっとバイトをしていたので、「フロム・エー」(アルバイト求人情報誌)の表紙に載せていただいたこと。テンション上がっていたんですけど、先ほどもあったように野田くんがイップスになってしまって。元々は、質問される場面では野田が最後に答えていたんですけど、この時期は先に答えて、最初に当たり障りないこと言うみたいな……難しい時期が続きましたね。
———三人のなかで「難しい時期」という共通認識があったんですね。
和田: 野田くんがだんだんアイドルを好きになってきて、ラジオ番組でもアイドルがいるとすごいかっこつけるようになって。急にツッコミ側に回ったり(笑)。
野田: そういうときもあったね。
芸人のはずが、文化人と役者に

———野田さんのグラフを見ても、2015年ころからしんどい時期に入っていきますね。
野田: この時期は、自分の欲のまま生きていましたね。三人の関係もうまくいっていなくて、そもそも会っていなかったし、ライブも出ていなかった。ひとりでもお笑いはやるけど……
おおかわら: いや、それ違いますよ。そのへんで野田くんが「役者になる」って言い始めて、スケジュールも舞台出演のために1か月半とか取られて。舞台に何回か出たけど、バキバキに噛んで監督にぶん殴られるとかあったよね(笑)。
野田: 客出し直後に殴られたので、お客さんに見られたりもしました。
おおかわら: 野田くんが舞台の仕事を入れはじめたんですけど、結局次につながらなくて。役者の仕事が来なくなったら、野田が「お前ら全然お笑いやんねえな」と怒りはじめたんですよ。ディレクターさんにも「お前らやる気ないな。野田が言っていたぞ」と言われて。「やり方が汚ねぇぞ」と……
野田: 裏でバンバン言っていましたね。うまくいっていなかったら、人のせいにしていた時期がありました。

———おおかわらさんのグラフは、野田さんほど劇的に下がっている感じではないですね。
おおかわら: 単独ライブをやったら映画監督の山口雄大さんが来てくれて、食事に誘われたんです。そしたら「脚本やってみない?」と言われて、「ぜひやりたいです」と。それが松山ケンイチさん主演の『珍遊記』(2016年)という作品でした。野田くんは役者として参加したんですが、撮影期間中に松山さんから「野田さんにどうやったら、俳優になれるか相談受けたんですけど……」と言われて。不信感みたいのはありましたね。でも、僕自身は作家の仕事をいただけるようになって、給料的には上がったんです。だから「頑張らないと」と思いつつ、でも、「私は一体何者なんだろうな」と迷走している時期でもあったかもしれないです。
野田: ざっくり言えば“お笑いで飯は食えている”ということだね。
おおかわら: そうだけど、鬼ヶ島三人としての稼ぎはほぼなかったからね。
和田: おおかわらは、この映画の時期から「俺は文化人になる」って言い出して……
野田: お笑いがうまくいかなかったから、逃げた時期もありましたね。

———それでも、完全に文化人の方面にはいかなかったんですね。
おおかわら: お笑いが好きというのは全く変わらなかったんですよね。当時はベタなコントを書かせてもらったりもして、自分のなかで「勉強になる」という感覚があったかもしれないです。
キングオブコント準優勝、でも全部失った和田
———和田さんも、この時期(2013~2022年ころ)はグラフが下がっていますね。
和田: 2011年にキングオブコント決勝に行かせていただいたんですけど、なかなかバラエティ対応できなくて。2013年に準優勝したんですけど、この時期に結婚と離婚が両方ありました。後輩芸人と元奥さんが、いろいろあって……ちょっと“さらば”したというか。

———賞レースで結果を残していても、プライベートの不幸が尾を引いたんですね。
和田: そうですね、むしろマイナスでした。2013年に奥さんと愛犬を失い、2014~2015年に相方がそれぞれ文化人と俳優になって、2017年くらいに僕が顔面麻痺になっちゃったんです。神経もなくなり、なにもないまま過ごす日々でした。
おおかわら: 「やろうか」と思ったら和田くんがそうなっちゃったり、2018~2019年くらいには新ネタライブをやっていたんですけど、何回かやったらコロナ禍になってしまったり……。
———トリオとして、なかなか思い通りにいかない時期が続いたんですね。
野田: 「相方と会ってねえな」と思うけど、表立っては言わないまま時が流れて……
おおかわら: ネタを書くときって感情で書く部分があるので「野田が面白くなれば良いな」とかもあったんですけど、この時期は野田への愛が全くなくなってました。40歳すぎて金髪にし出して、「全然面白くないな、こいつ」と……。
野田: この時期は、やりたいことやってました。だから、このときはツッコミもしなかったね。
———当時は、三人の関係性も悪かったのでしょうか。
おおかわら: そもそも、会わなかった。
野田: 仲悪いわけじゃないけど、会わなかったですね。

———そんななかでも、解散という方向には進まなかったんですね。
おおかわら: 全芸人が通る道なんですけど、“辞めても地獄、続けても地獄”なんですよ。お笑い蟻地獄ですよ。
野田: 辞める勇気があって解散する芸人を見ると「残念だな」と思いつつも、どこかで「良いな」と思っている自分もいましたね。
———苦しい時期のなかで、一筋の光みたいなものはなかったんですか?
野田: 僕はずっと、元サッカー選手・イニエスタのモノマネを『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ』(フジテレビ)でやっていたんです。そしたらイニエスタがJリーグに来た(2018年)ので、僕もちょっと新聞に載ったんですよ。サッカーのお仕事ももらって、ハーフタイム中にイニエスタの格好をして出ていったら、総ブーイングで……それで、すぐ心折れてモノマネやめましたね。
おおかわら: 僕は幸いなことにオアシズの大久保(佳代子)さんとずっとラジオ(『ゴチャ・まぜっ天国!』/MBSラジオ)をやらせてもらっていたので、それで保てました。2015年から、今もずっと続いてます。

後輩芸人の導き

———長い低迷期がありましたが、2023年からは皆さんグラフが上がっていますね。
おおかわら: 岡野と吉住が「ライブをやろう」と声かけてくれて。岡野とはずっと仲良しだったんですけど、久々に飲んだときに「なにかやってくださいよ」と言われたんです。岡野も、東京03の飯塚さんに単独を後押ししてもらって良い感じになった、という経緯があったんですよね。吉住も僕らのネタをちゃんと見て「すごい面白い」と言ってくれて、「じゃあその3組でなにかやるか」となりました※。そこから、「こういうの楽しかったな」と思い出せて。だから、二人のおかげですね。
※2023年6月に、鬼ヶ島・岡野・吉住のユニット『終末救済旅行団体「Mother&Father」』によるライブ『地球大爆発』が開催
———岡野さんと吉住さんは鬼ヶ島さんにとってかなり後輩だと思いますが、後輩に言われて動くことにためらいなどはなかったんですか?
おおかわら: 僕らとしてはただただありがたかったし、彼らはめっちゃ頑張っていたので、刺激になりました。
野田: 何年もまともにやっていなかったのにわざわざ「やろう」って言ってくれた。それで先輩風吹かせていたら、すごい嫌なやつじゃないですか。とにかくありがたいですよね。

———ライブにも手応えがあったのでしょうか?
おおかわら: 僕と岡野がネタを書いたんですけど、手応えというより「こんなに噛まずに上手にやれるんだ」と思いましたね(笑)。野田のセリフが、ほぼなくなりましたから。
野田: 僕は、化け物役でした。
おおかわら: 二人(岡野・吉住)は安定しているなと思いました。
野田: 僕はセリフがもらえないから複雑ではありました。
———それでも、グラフは上がっていますね。
野田: やっぱりライブは楽しいですよ。徐々に上がっていって、今年はもっと上に行きたいですね。
———和田さんも、2023~2024年はグラフが上がっていますね。
和田: 2024年に10年ぶりの単独ライブを開催したらなかなか評判が良くて。10年ぶりということで老化も激しく、めちゃくちゃ噛むしセリフもやばかったんですけど、楽しかったですね。

———10年間、単独ライブから遠ざかっていたのはなぜですか?
おおかわら: 折れてはいましたよね。原動力・熱を失っていたというか。
———それを呼び覚ましてくれたのが、岡野さんと吉住さんだったんですね。
おおかわら: 最初は岡野ですよね。「やりたくない」と言っていたんですけど、今となっては感謝ですよね。
子どもが生まれた野田
———キングオブコントはしばらく出場されていませんが、あらためて「賞レースへ挑戦しよう」という思いはないのでしょうか?
おおかわら: もし4分のネタができたら出ようかな、という感じですね。
野田: キングオブコントは芸歴制限ないしね。
おおかわら: 僕らのネタは10分以上が多いので、少し賞レースとは違うのかな。
———なるほど。
おおかわら: 出ることにこだわりがあまりないというか、出ても「負けるだろうな」って。
和田: 僕らがキングオブコントに参加していた当時は月20~30本ライブに出ていたんです。1本のネタをつくるのに何回も試していたけど、今はそれができていないんでね。
おおかわら: まわりから簡単に「出れば良いのに」という声をもらうんですけど、落ちると意外に傷つくんですよ。50歳も近いので、極力ストレスを減らしていきたい。
野田: 出て良いとこまで上がったらお客さんも増えるんでしょうけど、難しいところですよね。「鬼ヶ島さんみたいな芸風はいないから強い」と言ってくれる後輩もいますけど、調子乗って出て落ちたらへこみますからね。

———2024年は単独ライブも開催しましたが、「アイアム野田から野田勉」、「和田からアイアム和田」という改名もありましたね。
おおかわら: 打ち上げで、野田が「お前は弁が立つから」ってとにかく言ってきて、俺もムカついてきて、そんなに言うなら「野田勉に変えろよ」ということになって。
野田: 僕も「野田勉」になんかしっくり来たんですよね。
おおかわら: ただ、(元々の芸名)「アイアム野田」はドランクドラゴンの塚地さんが付けてくれたので、「どうする?」となって。それで「アイアム和田」になりました。
和田: 僕は違うテーブルで飲んでいて、そのくだりも知らなくて。絶対に嫌で2~3週間は断っていたんですけど、最終的には受け入れました。

———「アイアム」を受け継いで、なにか変わったことはありますか?
和田: 別にアイアムって呼ばれないし、なんとも思わないですよね。
野田: 和田は今も自分のことを「アイアム和田」と思っていないんですよ。だから、自分が「アイアム和田」と認識してほしい。じゃないと「アイアム」って呼ばれないからね。
———改名のほかに、2024年からYouTubeチャンネル『鬼ヶ島ホラーチャンネル』も開設していますよね。
おおかわら: 野田が「会わないのが問題だな」と言い出したんですよ。仕事があれば会うんですけど、そんなにないので「週1でYouTubeのために集まりましょう」と。数字とか気にすると地獄ですから、もうリハビリ感覚ですね。
★「鬼ヶ島ホラーチャンネル」はコチラから
———いざやってみてどうですか?
おおかわら: 全員に「すべてが間違っている」と言われますね(笑)。全部がひどいと。
和田: おじさんが無知でやっているんでね。
———会う理由になっているとのことですが、楽しさは感じたりしますか?
おおかわら: 心機一転やろうと言うときに、野田が結婚して子どもが生まれたんですよ。お父さんになったらなにか変わるかなと思ったんですけど、ちょいちょい休むようになりました。「YouTubeは週1なんだからなんとかしろよ」って言ったら、「俺にはお前らと違って守るべきものがある」とか言ってきて…‥‥
野田: 二人にはない経験を、今していますから。
和田: 俺も結婚はしたことあるから。
野田: あれは結婚に入んない(笑)。今までは自分のためだったんですけど、今は「子どものために頑張る」という気持ちでいますね。
単独ライブ『48歳の文化祭』に向けて

———2025年も下半期に入っていますが、今のところはいかがですか?
和田: ちょっと下がってるくらいですかね。去年に単独やってバーンと上がったんですけど、現状はそんなに変わらないなと。YouTubeをはじめたんですけど、バイトの数は増えていますね。今年単独をやるので、もう一回上に行ければ……というところです。
おおかわら: 二人がバイトで忙しいんですよ。前回の単独前にも、2~3週間前にはバイトを休んで稽古の時間とお金は確保しようと話していたんです。ただ、野田が裏切ってバイトを入れ、和田が激怒するという事件がありましたね。
野田: 2時間だけね。
和田: こっちは日給だから、(時間でバイトすることが)できないんですよ。
おおかわら: 50歳手前でこんな喧嘩をしてね……

———2024年に開催した10年ぶりの単独ライブが楽しかったということでしたが、手応えはどうだったんでしょうか?
おおかわら: 新ネタはずいぶん書いていなかったので、余力があってサクサクつくれたんですよね。脚本は我ながら良かったと自負しているんですけど、演じるほうは三人ともボロボロで。
野田: 練習したんだけどね。
和田: 過去イチ練習したよね。
おおかわら: これが「年齢によるものか」と。先輩の東京03さんにも「覚えが悪くなるし大変だよ」とよく言われるんですけど、まさにそのとおりだなと思いました。
———パフォーマンスが結果にも影響したんですね。
おおかわら: なんて言っていたかわからないとか、そういう次元でしたね。
野田: 僕は本当に迷惑をかけてしまいました。
おおかわら: サボっているわけじゃないので、「向いてないのかな」って。
和田: 野田くんは人一倍練習するんですけどね。
おおかわら: 野田が(うまくいかないのは)「鼻のせいだ」と言って、手術しました。
野田: 前回は息ができなかったんですよ。だから、溺れるようにしゃべっていて。今年は手術して鼻の通りが良くなって、めちゃくちゃしゃべれるようになったんですけど「声質が変わったから面白くない」とか言われて……

おおかわら: 良い声になったというか、マイルドになりましたね。
和田: 昔は、もっと鼻にかかって馬鹿っぽい声だったんですけど。
野田: そんなの調整できないじゃん。僕は真っ当にやっていきたいんだから、それで我慢してください。
おおかわら: まあね、噛まれるよりかはね。
———今年の単独ライブ『48歳の文化祭』に向けて意識されていることなどはありますか?
おおかわら: 岡野達とユニットをやりはじめたころから、「歳も歳なので楽しくやろう」と掲げています。だから、前回ご覧になった方はわかると思うんですけど、浅沼が普通に出てきたりしました。鬼ヶ島を劇団みたいにしちゃえば?という声ももらったりしましたね。

———皆さんにとって、単独ライブは芸人活動のなかでどんな位置づけにありますか?
和田: お客さんの前でやるのはやっぱり楽しいですね。あんだけ嫌がっていたおおかわらが、2年連続やってくれると思わなかった。今回も成功して、「ぜひ来年も」という気持ちですね。
野田: 僕はリベンジです。ちゃんとできるようにする、それが一番。
おおかわら: 去年の単独をYouTubeに上げるというのであらためて見てみたら、本当に野田ってひどいんだなと。
野田: もうちょっと落ち着いて。うまくいったときは絶対強いと思うので、失敗してもあんまりがっかりしないでください(笑)。
和田: そういうのも込みで、初日が割引なんですよ。
おおかわら: 初回失敗保険価格で、500円安くなっている。
和田: 1回目と3回目を見てほしいですね。

———ネタを書くおおかわらさんとして、注目してほしい部分はどのあたりでしょうか?
おおかわら: 不気味な雰囲気を楽しんでもらえると良いですね。
———最後にあらためて、見に来るお客さんや、単独ライブに行くか迷っている方へメッセージをお願いします。
おおかわら: 去年は『47歳の転校生』というタイトルで今年は『48歳の文化祭』。あえて年齢を付けているので、「目指せ60歳」ですね。60歳まで学ランを着てやるのが野望です。皆さんにお越しいただくと、より続けられるので。もちろん、来ていただくために頑張って気持ち悪く楽しいコントを書きますので、よろしくお願いします。
和田: 今回は通常チケットのほかに3万円チケットがあります。買っていただくと僕と1年間交換日記ができるか、僕の料理のフルコースが食べられます。まだ残っているので、ぜひ。
おおかわら: 去年は「モーニングコールを和田が毎日する」という特典がありました。
和田: 毎日、朝6時半に電話していました。三人買ってくれたんですけど、そのうちのひとりが彼氏に怒られてやめちゃって。結果、二人に電話していました。
野田: 本当に来ていただかないとライブ自体がなくなってしまうので、ラストチャンスです。50歳手前でやるしかないので、お願いします。来てください、損はさせません。普通のお笑いではない、トラウマが残るようなものなので、ぜひ来てほしいです。

鬼ヶ島 年表

PROFILE

鬼ヶ島(プロダクション人力舎)
左:野田勉
中:おおかわら
右:アイアム和田
文:まっつ
編集, 撮影:堀越愛
INFORMATION

鬼ヶ島単独ライブ「48歳の文化祭」
★ライブ詳細はコチラから★
●公演日
11/21(金)開演19:30
11/22(土)開演13:00/17:00
11/23(日)開演13:00+アフタートーク
※開場は各開演の30分前
●開催場所
新宿シアターモリエール(東京都新宿区新宿3-33-10モリエールビル2F)
●チケット
https://eplus.jp/sf/detail/0662120002-P0030004P021004?P1=1221