【WESTANTSストーリー-vol.8 シンバルモンキー-(前編)】「変なふたり」だから最強!中学で出会った同級生コンビ ~西の地下で轟く、新たな笑いの息吹~

2021年4月、大阪のライブシーンで活動する9組18人の芸人によるユニット『WEST ANTS』が誕生しました。発起人は、大阪・西心斎橋で「BAR舞台袖」を営む加藤進之介さん。大阪のお笑いを盛り上げるべく、本当に「面白い」と思う芸人を集めました。(加藤さんインタビュー:大阪を「芸人が飯を食える場所」にしたい

フリーで活動するシンバルモンキーは、ジャンベを使った漫才が特徴のコンビ。大阪芸術大学音楽学科卒の多才なイオリ・ジャンバックさんと、車夫(人力車引き)歴8年のジンリキさんの二人は香川県出身の幼馴染で、学生時代はみんなの前で漫才を披露する人気者だったそうです。
インタビュー前編では、シンバルモンキーのルーツについて、中学時代まで遡って詳しくお話を伺いました。(インタビュー後編はコチラ

【WEST ANTS ストーリー -vol.0-】大阪お笑いに、新たな息吹!芸人ユニット『WEST ANTS』とは

シンバルモンキー(左:イオリ・ジャンバック、右:ジンリキ)

継承される「シンバルモンキー」

———まずは、趣味や特技を教えてください。

ジンリキ: 面接みたい。

イオリ・ジャンバック(以下、イオリ): なるほどなるほど。背筋伸ばそうかな。

ジンリキ: 面接慣れてるから。

イオリ: 仕事柄ね。じゃあ趣味からいいですか? 趣味、……なんやろな。

ジンリキ: 趣味なんか死ぬほどあるやろ。

イオリ: 特技の方が多いんかな? まぁでも、楽器叩いたり、あとずっとダンスをやってたんでダンスを踊ったり。そういうことを休日とかにけっこう普通にやってます。一人で川に行ったりとか、ルーフバルコニーっていうベランダの広い版みたいなとこで、一人で踊ったりとか。

ジンリキ: まだやってるん? やば!

イオリ: 一種のダイエットみたいな。

ジンリキ: なるほどな。

イオリ: で、楽器もたまに叩いてます。漫才中はそんな自由に叩けないから。尺が決められてて。

ジンリキ: 休日は音楽家としての活動も?

イオリ: そうそう。音楽家としてのイオリが出てくるから、河川敷でたまにこう、なにも考えずに叩くみたいな。これは趣味になるんですかね? 

ジンリキ: 河川敷で休日も叩いてんねんな。

イオリ: そうね、たまにね。なんかあります?

ジンリキ: 僕はもう、人力車一本で。

イオリ: あーじゃもう、趣味が仕事みたいな、あぁ一番イタいやつや。

ジンリキ: なんちゅうこと言うねん。

イオリ: 一番かっこつけてるやつ。

ジンリキ: 趣味は酒と人力車です。

———二人とも香川県出身の幼馴染コンビということですが、出会いはいつ頃でしょうか?

イオリ: 出会いは小学生。

ジンリキ: そうやな。

イオリ: 小学校のときからお互いの存在は知ってて。ちゃんと友達になったのは、中3のときに同じクラスになってそこからやね。僕とジンリキともう一人、仲良い松本っていう奴の三人でずっと一緒にいて。トリオで漫才をしたりとか、歌を作ったりとか。めっちゃサブいんですけど「3LDK」っていうバンドみたいなものをやってて、僕がギター弾いて三人で歌うみたいな。曲作って、一丁前にCDとかも手作りで作って。

ジンリキ: はははは(笑)。あったな。

イオリ: ディスクのところにマッキーで絵を書いて。

———当時から楽器をやっていたんですね。

イオリ: 楽器はずっとやってますね。

ジンリキ: (イオリは)中1から吹奏楽部で。合唱コンクールみたいな大会でも、1年からずっと指揮者やってましたね。彼の指揮者の動き、すごかったんですよ。“やってる人”の動き。その頃から、怪しいなこいつとは思ってました(笑)。

イオリ: 僕 、3年連続「指揮者賞」獲って。しかも僕がいたクラスは絶対に最優秀賞だから、伝説の指揮者だったんですよ(笑)。

ジンリキ: 最強やった。

———歌の指導も指揮者がやるんですか?

イオリ: そうです。クラスの指導してました。「男性パート抑え目にしようか」とか。

ジンリキ: 知らんな。

イオリ: 「今は高音が欲しい」。

ジンリキ: いやいや知らんのよ。

イオリ: そうそう、中学校のときに僕らの“お笑いのルーツ”みたいなのがあるんです。動画もあるんすよ。(スマホで動画を見せながら)これ、僕らが昼休みに校庭で漫才してたときの。

———ええ! みんなの前でやってたんですか!?

イオリ: そう。変な文化でしょ。これ昼休みなんですけど、中庭でやってるとみんなが渡り廊下とか色んなところから見てくれるんですよ。そのときは三人で漫才してたんですけど。

ジンリキ: そうそう。

イオリ: シンバルモンキーの始まりですね、これが。

———このトリオの名前は「シンバルモンキー」では無いんですよね?

イオリ: これは「3LDK」。

———シンバルモンキーという名前には、どんな由来があるんでしょうか?

イオリ: そもそも、シンバルモンキーっていう名前をつけたのは僕の父親なんですよ。僕が中学校で吹奏楽部に入ったのはドラムを叩きたかったからなんですけど、なかなかやらせてもらえなくて、シンバルばっかり叩かされてたんですよね。そしたら、シンバルの技術がめちゃめちゃついて。

ジンリキ: えぇ。

イオリ: (部活に)いわゆるレギュラー部門と、そうじゃない部門があったんですよ。3年生はみんなレギュラーで、2年生はどっちかに分けられるという。で、僕は2年生で、シンバルの技術だけでレギュラーになったんです。そうなると嬉しいんで、ドラムを叩ける機会があっても「いや、俺シンバルやります」と。でも親父がドラムやってたんで、早くやらせたかったんでしょうね。喜んでシンバルばっかやってるのを馬鹿にして、「お前はシンバルモンキーや」と言われて。そこから始まったんです。

ジンリキ: あんま知らんかった。

イオリ: 「お前はシンバルモンキーや」っていう。

———ジンリキさんと二人で組むときに、このコンビ名を付けたんですか?

イオリ: それが、元々は別の人と組んでたコンビの名前なんですよ。僕は1度完全にお笑いを辞めたんですけど、「もう1回やりたい、誰に声をかけよう?」となったとき、ジンリキがお笑いをめちゃめちゃ好きなことを思い出して。しかも、仕事柄吉本の若手芸人とかも……

ジンリキ: そうですね。人力車の同僚とか先輩・後輩にも元芸人が多かって、そこでもお笑いの話はよくしていて。

イオリ: なんなら、ちょっと若手芸人を(バイトで)雇ったりとかもしてたんで。

ジンリキ: まあ、そうっすね。

イオリ: お笑い通やし、しかも幼馴染で気の知れた仲やし、っていうのでジンリキに声かけたんです。本当は全然違うコンビ名が良かったんですけど、「コンビ名なににする?」って聞いたら、「シンバルモンキーやろ」って(笑)。

ジンリキ: 二代目(笑)。

イオリ: ほんまに知らんかったんですけど、この名前をめっちゃ気に入ってて。 「シンバルモンキーはどっかで使いたいと思ってた」って。

ジンリキ: ははは(笑)。でもさっき由来聞いて、嫌になった。

イオリ: なんでそんなこと言うねん。

ネタに向き合う時間は意識して作る

———先ほどイオリさんは「1度完全にお笑いを辞めた」と仰っていましたが、ジンリキさんと組む前に本格的にやっていた時期があるんですか?

イオリ: 僕は高校生のときにも、ハイスクール漫才出たりとかしてお笑いをやってたんです。でも全然結果が出なくて、大学入ってからはどこにも所属せずオーディションを受けたりして。で、2回生で組んでたコンビを解散したタイミングで、NSC35期でお笑いをやってたヤツが声かけてくれたんです。それで、一般という制度を使って吉本にいったん所属しました。3回生・4回生は(大学に通いながら)真剣にお笑いをやって……当時、『キングオブコント』とか『M-1』の予選、ジンリキがお客さんとして観に来てくれて。

ジンリキ: むちゃくちゃスベってました(笑)。とんでもなかったです。

イオリ: あはははは(笑)! でまぁ、ちょっとムズいぞと。「こいつとは売れへんな」と。

ジンリキ: 相方に問題があったってこと?

イオリ: いや、自分自身にも問題がありました。

ジンリキ: 言い方。

イオリ: はい、すみません。俺にも問題がありました。当時、ドレッドヘアやったんですよ。

ジンリキ: そうよ! すごい汚らしげなドレッドで、ズボンもダンサーが履くような厚いズボンで。見た目やばかったな。

イオリ: そうっすね。そりゃあ売れへんわ。で、完全に髪しっかり切って、心入れ替えて「俺はサラリーマンで生きていく」と就活し始めたんです。それでサラリーマンをマジメにやってたけど、3年半が限界で……「あ、やっぱお笑いやりたいな」と。その頃、NSCのときに一緒に舞台出てた人が売れ始めたんですよ。テレビ出てるの見て、むっちゃ悔しくなって。もう1度お笑いやろうってなったのが、社会人4年目くらいのときです。で、今もリーマンやりながらお笑いやってるって感じですね。

———なるほど。ジンリキさんは、お笑い始めた頃はもう人力車引きを?

ジンリキ: そうですね。大学の頃から人力車やってて。車夫歴はもう8年目になりますね。

———すごい、ベテランですね。

ジンリキ: ベテランですね。後輩が増えてきたくらいの時期に(イオリに)声かけてもらって。「インディーズのライブやったら趣味感覚で出れるで」みたいな話あったんで、遊びってわけじゃないですけど、そんな感じが始まりでしたね。

———組んだのはいつ頃ですか?

イオリ: もう、2年前ちゃうかな。

ジンリキ: 組んだ瞬間、コロナ禍になったんですよ。だから半年ぐらいは舞台に出ることもなく、公園で漫才の練習してるだけ……みたいな。

イオリ: そうですね。2020年2月3日にコンビ組んで、初舞台 が7月11日なんですよ。だから半年間は、ほんまになんもなかったんすよ。公園に毎週集まって、ひたすらネタ作って。

———お笑い芸人と仕事の兼業は、大変ではないですか?

イオリ: なにが1番大変かと言われたら、シンプルに“時間”ですよね。サラリーマン(イオリ)と自営業(ジンリキ)では「大変」のベクトルが違うと思うんですけど。僕に関しては、平日は9時から平均19時ぐらいまで働いて、そこからライブに出て……他のサラリーマンが土日に休んでる中、僕は土日もライブに出て。だから、休みはほんまに無いです。ただ自分が選んでやってるから、楽しくてやれてるっていう。

ジンリキ: お互いの予定も合わしにくいところがありますね。

イオリ: 大変なことある?

ジンリキ: 人力車が、ほんまにコロナでめちゃくちゃ暇になったんですよ。なので、今は全く違うバイトを掛け持ちしながら、夜だけライブみたいな感じです。イオリとはまた違った大変さっすね。

イオリ: お金か。

ジンリキ: そう、お金がないです。ライブがあることに関しては楽しいんで、(お笑い自体が)大変っていうのはないですね。

イオリ: ネタを作って合わす時間は他の芸人さんに劣るから、意識して絶対にその時間を作らなあかんと思ってますね。仕事終わりに公園で集まるとか。他の芸人みたいに「今時間あるし、ちょっとやるか」みたいなのができないんで。

お笑いには「フリー」という人種がいることを知ってほしい

———イオリさんはクリエイターチーム「POLOT」の一員としても活動されていますよね。具体的には、どんな活動をされているのでしょうか?

イオリ: ざっくり言うと、「お笑いのライブシーンを盛り上げるために模索している」みたいな感じですかね。例えば、(フリー芸人を中心に情報が載っている)「KUMANBACHI」っていうホームページを作ってます。フリーの芸人って、吉本さんとかと違って情報が無いんですよ。趣味とかコンビ名の由来とかもどこにも書いてないんで、事務所に所属してない人たちの情報も載ってるプラットフォームを作りたいなと思って。お笑いには「フリー」っていう人種がいるんだぞっていうのをもっと知ってもらわなあかんやんっていう。

ジンリキ: 東京とかは徐々にフリー芸人が増えてきたけど。

イオリ: ラランドさんとかフリーで売れてる人がようやく出てきたんですけど、まだまだですよね。「フリーでもちゃんと芸人なんだよ、プライド持ってやってるんだよ」っていうのを知ってもらえるような活動をやってます。そもそも「POLOT」って、元々は芸人が嫌いそうな人種なんですよ。サラリーマン四人組が副業でなにか稼がれへんかってことで、最初はお笑いに限らずHP作ったりしてこうぜって言ってたんです。
でもリーダーの荻野を僕らのライブに呼んだら、めちゃくちゃボニーボニーさんのファンになって。「こんなおもろい人がおるんや」「でも大きい事務所じゃないと、おもろくても売れへんのか」と。別のライブでにぼしいわしさんも知って、そこでも「めちゃくちゃおもろい」と。この2組のファンになった荻野が「今やろうとしてることを、全部お笑いのためにしたい」と言い出して……荻野ってそういう感情派な人間なんですよ(笑)。稼ぐことを目的にしてたあとの二人は離れてちゃんと役職が上がって、僕と荻野はこっちに集中し過ぎて業績を下げるという……そういうオチになります(笑)。

ジンリキ: 悲し過ぎるやろ、オチ(笑)。

イオリ: インディーズとか世に出にくい芸人の動画を集めたサイトを作ろうとか、いろんなことをやろうとしてます。事務所に所属してないと、ライブで見て面白いと思っても追っかけられないんですよね。だからHPもそうだし、フリー芸人の賞レースを作ったりとか、「ライブシーンを盛り上げるため・フリー芸人が増えるような世の中にするため」っていうのでいろいろ頑張って模索してるっていう段階です。

———動画編集やゲーム・ホームページ制作などの印象が強かったのですが、企画を考えたりもするということでしょうか?

イオリ: そうですね。ゲームとか動画は、芸人さんが食っていけるために、なにかバズるきっかけを作るためのツールというか……僕らが「ゲームを作りたい」「動画を作りたい」っていうのではなくて、あくまでライブシーンを盛り上げるための手段の一個ですね。

———なるほど、幅広いですね。

イオリ: なんでもやります。依頼があったら、コンビのHPを作ったりもしたいなと思ってます。なんせ今はフリー芸人の情報がほんまに無いから、追いかけられないし、ファンも付かない。この状況をどうにかしようと動いてる感じですね。

ジンリキ: 素晴らしい。

「楽しそうやな」で人力車引きに

———ジンリキさんは、いつから人力車を?

イオリ: こいつはほんまに変わってて。

ジンリキ: なにが?

イオリ: こいつ、野球がすごく上手やったんですよ。高校のときも四番任されてて、大学は野球推薦で入ったんです。でも前代未聞で、推薦で大学入ったのに……何ヶ月で辞めたんやっけ?

ジンリキ: 2ヶ月。夏を待たずして部活を辞めました。

イオリ: 先駆者なんですよ。推薦で大学入って、部活辞めれるんやって。

ジンリキ: みんなも「え、これって辞める制度あんの?」みたいな感じで(笑)。

イオリ: そんなことある!?

ジンリキ: だから、その道を作った。「辞めれんねんで、別に、そんな」と(笑)。

イオリ: 京都の大学だったんですけど、野球辞めてなにするんかなって思ったら……

ジンリキ: 嵐山で人力車引き始めて。

———どうして人力車だったんですか?

ジンリキ: 「ヤバい。なんもすることない」と。で、「京都のことなんも知らんし遊びに行こか~」で、人力車めちゃ走ってんの見て「これや!これやこれや!」。

———え!!

ジンリキ: こうなってたんで。(前しか見えないジェスチャー)

イオリ: はははは(笑)!

ジンリキ: 親は「(大学)辞めて帰ってこい」みたいな。でも関西来たし遊びたいのもあるし、なんかせなあかん。で、もう……「これやこれや!」で、そのまま事務所行って「アルバイト募集してますか!?」って言って、そのまま。「また面接来て」で、ほんまにそれで始めたような。

———へ〜!!

ジンリキ: 楽しかったですね。

イオリ: ほんならさ、たまたま目に入ったんがさ、りんご飴屋さんやったらさ。

ジンリキ: やるかぁ! りんご飴屋はやらんよ!

イオリ: えぇ、そうなん? たまたま目に入ったんが人力車で、事務所行ったんやろ?

ジンリキ: いやいや、一応「楽しそうやな」って

イオリ: それはあったん(笑)。猿回しやったら?

ジンリキ: いや猿回し……やってるかもしれんなぁ(笑)。

———それで、大学卒業後も人力車を続けたんですか?

ジンリキ: 大学卒業して、大阪に移って、京都の会社を辞めて、自分で人力車買って。個人事業主として、大阪来て5年やってます。

———なるほど! それで、人を雇ったり。

ジンリキ: そうですそうです。そこからですね、若手の芸人とか一緒にやってくれて、みたいな。

イオリ: うん。「兼業芸人」って言ってるんですけど、トルクさん(トルクレンチガールズ)とかと違って、サラリーマンと自営業のコンビなんですよ、実は。

ジンリキ: 変な自営やしな。なにを自営しとんねん、言うやつな。

イオリ: だから、皆さんにご挨拶するとき「人力車やってます」って言ったら、お笑いの「人力舎」所属と思われたり。ややこしい仕事してるな!

【後編を読む】激動のお笑い人生、栄光と再起動

取材(文・写真):藤田うな
編集:堀越 愛


<シンバルモンキー|プロフィール>
フリー。ユニット『WEST ANTS』に所属。

左:イオリ・ジャンバック
右:ジンリキ

★プロフィール:https://kumanbachi.polot.me/geininzukan01/
★Twitter:@Cymbals_monkey_
★Instagram:cymbals.monkey

PERFORMERS

  • イオリ・ジャンバック/シンバルモンキー

    1993年 5月 30日生まれ
    香川県高松市出身

    Twitter:@iori_cymbals

  • ジンリキ/シンバルモンキー

    1994年 3月 23日生まれ
    香川県高松市出身

    Twitter:@Cymbal_zinriki

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